【Jリーグ20周年】ふりかえりと今後のJリーグを思う

スタジアムは子どもたちに何かを与えてくれる スポーツ

スタジアムは子どもたちに何かを与えてくれる

Jリーグが20周年を迎えました。

開幕の日、ヴェルディ川崎vs横浜マリノスのゲームをテレビで観て感激したものです。

それぞれのクラブに歴史があるように、皆さんにも20年の歩みがあるのではないでしょうか。

衝撃的だったJリーグ創設前の国立競技場

1985年、メキシコW杯予選を戦っていた日本代表は、最終予選まで進みますが、ホーム国立で韓国に完敗。

この試合は、もちろん国立競技場でガッツリ応援していた私は3月に行われた北朝鮮戦で失望したのでした。

まるで平壌のようなスタジアムの異様な光景は、今でも忘れられません。

みぞれまじりの冷たい雨、泥だらけのピッチ、雨で止まった水たまりが生んだゴールなど…

100名ほどで日の丸を振って応援した元祖ウルトラスだった私たち。

メキシコ五輪で一時的なブームがあったようですが、野球全盛の時代にあって、とにかくサッカーは人気のないスポーツでした。

天皇杯決勝は、チケットは当日でも余裕でゲットできたものです。

一番、お客さんが入るのはヨーロッパチャンピオンと南米チャンピオンが争うトヨタカップ(現クラブワールドカップ)でしたから…

Jリーグ開幕当時の違和感

プロリーグとしてのJリーグは、一大ブームとなりました。

それまでは、マニアックな人たちの集まりだったスタジアムには、「サッカーって何?」くらいの人たちが集まり始めます。

これって、男子バレーと同じかもしれないと危惧したものです。

というのも、男子バレーはミュンヘン五輪で金メダルを取った頃から女性に大人気となり、日本リーグや大学リーグなでにも多くの女性ファンが訪れていました。

その後の日本男子バレーが歩んだ道は、みなさんも御存知の通りです。

開幕から5年も経つと親会社が撤退してしまったりしてクラブが消滅なんてこともありました。

サッカーそのものの魅力を上げないといけない時代だったかもしれません。

ワールドカップ出場とJリーグ

Jリーグが開幕してから、時が経つにつれてJFAの進化もありました。

外国人監督を招聘して本気で世界と戦う日本代表を強化し始めました。

一度、ワールドカップを経験してしまった日本代表は、その後4大会連続での出場を果たしています。

Jリーグで多くの経験を積んだ選手たちが、世界を意識して来たことの表れでしょう。

今では、Jリーグから世界へ羽ばたいている選手も多数でてくるようになっています。

これからの20年とJリーグ

人口激減時代を迎えようとしている日本では、子どもたちの数が減少し超高齢化時代へ突入しようとしています。

余談ですが、法整備を含めて西欧各国のように結婚せずとも子どもが産める環境を整えることがない少子化はもはや改善されないでしょう。

そんな時代に、Jリーグクラブはまだまだ増える傾向にあります。

各クラブは、サッカーだけでなく地域スポーツのシンボルとしての役割を担い、医療、教育、福祉など多くの分野に影響を与えることでしょう。

経済状況も不透明なので、クラブ経営が成り立つかとというと、難しい部分もありますが規模によって地域でできることをやっていけばいいのではないかと思っています。

地域によって街の特徴が違うわけですから、各クラブの鮮明な差別化も必要でしょう。

どこもかしこも、同じようなクラブの形ではおかしいですよね。

Jリーグの存在が、より多くの人々の生活に浸透していくことを望んでいます。

 

20周年を迎えたJリーグに感謝して。

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