市制施行70周年記念式典・市民の日

市制施行70周年記念式典

毎年11月3日に開催される市民の日は青空が広がります。

今年も綺麗な秋の青空が広がりましたが、にわか雨が降る瞬間も。

それでも概ね天候もよく多くの市民の皆様が楽しむ様子がありホッとしました。

午前中には市制施行70周年記念式典も。

こちらには報徳サミットと同様に来賓として参加させていただきました。

市制施行70周年記念事業特設ページ | 秦野市役所
市制施行70周年記念事業特設ページ

以下に市制施行に至る経緯を示しておきます。

市制施行の経緯

1. 戦前・戦中の行政区分(基礎)

  • 明治22年(1889年)の町村制施行時
    • 秦野盆地周辺に13の村が成立(秦野村、南秦野村、東秦野村、北秦野村、落幡村、真田村、南矢名村、北矢名村、下大槻村など)。
  • 昭和の大合併(1920~1930年代)
    • 1923年:秦野村+大秦野村 → 秦野町(人口約8,000人)。
    • 1935年:南秦野村+鶴巻村 → 南秦野町
    • 1889年:落幡村、真田村、南矢名村、北矢名村、下大槻村 → 大根村(中郡大住郡)。
    • 東秦野村・北秦野村は村のまま残る。
    • → 戦前には「秦野町・南秦野町・東秦野村・北秦野村・大根村」の5自治体が主な構成要素。

2. 戦後の合併機運の高まり(1945~1953年)

  • 背景
    • 戦災復興、人口急増(帰農者・引揚者流入)。
    • タバコ栽培の好況(秦野の主力産業)。
    • 行政サービスの不足(消防・水道・教育)。
  • 国の政策
    • 1953年:町村合併促進法制定 → 全国的な「昭和の大合併」推進。
    • 神奈川県の目安:1市1郡に1~2市。

3. 合併協議の開始(1953~1954年)

  • 1953年10月:秦野町主導で**「秦野地区町村合併促進協議会」**設置(当初は秦野町、南秦野町、東秦野村、北秦野村の4自治体)。
    • 大根村は当初不参加(独自の農業基盤・鶴巻温泉の観光資源を理由に様子見)。
  • 協議の焦点
    • 新市名:「秦野市」。
    • 市役所:秦野町役場継承。
    • 財政:タバコ益の配分。
    • 共同整備:学校・道路・水道。
  • 住民運動
    • 各町村で住民大会開催。賛成多数も、大根村は「温泉資源の独立性」を主張し保留。

4. 合併協定調印と市制施行(1954~1955年)

  • 1954年7月:4自治体で合併協定書調印。
  • 1954年10月:神奈川県議会可決。
  • 1954年12月:自治省認可。
  • 1955年1月1日秦野市誕生(秦野町・南秦野町・東秦野村・北秦野村の4自治体合併)。
    • 人口:約35,000人
    • 面積:約90km²
  • 1955年4月15日大根村編入(落幡・北矢名・南矢名・下大槻の各地区)。
    • 理由:市制施行後の行政効率化と住民要望(通学・通勤の利便性)。大根村の鶴巻温泉が観光資源として即時活用。
    • これにより、人口約38,000人、面積約100km²に拡大。現在の「大根・鶴巻地区」の基盤形成。

5. 市制施行後の追加合併(1955~1963年)

  • 西秦野町の形成と合併
    • 西秦野村+上秦野村 → 西秦野町(1955年頃の別合併)。
    • 秦野市の成長(人口5万人超)で孤立化 → 1962年合併申請。
  • 1963年4月1日西秦野町編入 → 現在の市域(103.76km²)完成。
    • (注:一部史料で1963年1月1日とありますが、公式は4月1日。)

6. 市制施行の意義と影響

  • 即時効果
    • 大根村編入で鶴巻温泉の観光促進、水道整備(秦野盆地湧水)。
    • 工業団地(テクノパーク秦野)造成。
  • 長期影響
    • ベッドタウン化、小田急線開発。
    • 2025年:市制施行70周年記念事業進行中。

まとめ(年表)

年月出来事
1953年10月合併促進協議会発足(4自治体)
1954年7月合併協定調印
1955年1月1日秦野市制施行(2町2村)
1955年4月15日大根村編入(落幡・北矢名・南矢名・下大槻)
1963年4月1日西秦野町編入

次の30年を見据えて

私が過ごした子ども時代、1970年代以降は経済も人口も右肩上がりでした。

児童生徒数も一気に増え分離新設された小中学校もあり、宅地開発も進みました。

1990年代後半からは停滞が続き、失われた30年を実感しながら生活してきたように思います。

2025年となり本市でも少子高齢化の波は高くなりました。

中山間地を抱える自治体が直面している課題がジワリジワリと迫っているように思います。

一気に多くのことはできませんが、一つひとつ市民の皆様と対話を重ねていきたいと思います。

ともに歩もう、この先の秦野へ

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