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あらためて考える「秦野の魅力」って?

権現山からの富士山

今朝も冷たい風が吹いた丹沢・大山の麓。

それでも8時を過ぎると気温は上がり半袖でもOKという水曜日。

地元、大根・鶴巻地区の皆さんとおしゃべりの後、横浜へ向かうために小田急線へ。

車窓からはホッとする新緑の山並みが見えます。

「秦野で育って良かったなあ」と思う瞬間です。

ボクが秦野へやって来たのは小学校2年生のゴールデンウィーク。

転校先の大根小学校は、まだ木造の校舎と講堂がありました。

転校初日、トイレの中で泣いてしまったことを今でも鮮明に覚えています。

当時の周辺地域は、下大槻団地が建設され宅地開発が進んでいました。

我が家は初期の流入家族です。

そんなこともあって、たくさんの空き地と雑木林で遊び回ったものです。

やがて…

周辺の遊び場が少しずつ消えていく姿を目の当たりにするようになります。

あれから50年近くが経過して、あらためて秦野を見つめています。

もともと住んでいた皆さんの優しさや次から次へと転入してくる仲間たち。

サッカーやバレーボール、ご近所の皆さんなど多くの人たちに支えられながら大人に

感謝の気持ちしかありません。

気がつけば…

この大好きな「秦野」を次世代へと繫ぐ年齢になりました。

あっ!キングカズと同い年の56歳(丙午学年の早生まれ)です。

最近の秦野では…

「もうよ、少子高齢化なんだから終わりだべよー!」

「学校は大変らしいじゃねーか!どうなってんだーよー!」

「いつまでも盆地根性だからなあ。伊勢原に負けてんよ!」

なんていう声をあちらこちらで耳にします。

たしかに…

ボクらが子どもの頃に賑わっていた商店街はシャッターが閉まっている所も多い。

地方都市にありがちな国道沿いや大型店にしか人は集まらない。

地域で紡がれていた人と人の繋がりが薄まっているのだという実感があります。

「自然環境はいいなあって思うんですけど子育てしにくいんですよねえ」

そんな声も子育て世代の皆さんたちから。

たしかに地元にあった産婦人科病院も閉じてしまいました。

幼稚園だって隣町からやって来るバスで通園する子ども多数。

変革期にある学校とて子どもたちだけでなく先生たちも窮屈な状況です。

さらに、空き家や休耕地も増え続けている。

昭和30年代、タバコ栽培や酪農も盛んだった秦野。

ボクら世代が目にしてきた高度成長期とはワケが違います。

このまま衰退への道を進むのは悲しすぎます。

「そりゃあ、わかんけどもよー。じゃあ、どうすんだい?」

って先輩方から尋ねられることがよくあります。

「どう思います?みんなで何かできませんかね?」

「そうは言っても、おめーよー!」

「ボクは、このまま衰退への道を辿るのはイヤですから知恵を絞りましょう!」

「知恵っていってもなあ」

「いろんな皆さんの声を聴いて回りますから!」

「おめーはホントにしょーがねーなー!まあいいや、やれるだけやってみな(笑)」

なんてことが多々あるのです。

もう一度、言います。

先人がつくりあげてきた、この大好きな秦野を次世代へと繫ぎたい。

というわけで…

「ともに歩もう、この先の秦野へ」

をキャッチフレーズに…

「ぱわーすぽっと☆Hadano」

スタートしました。

あらためて「秦野の魅力」を考えてみる。

そして…

多くの声を集め、皆さんとともに、大好きな秦野を未来へ繫ぐ。

皆さまのお知恵をお借りしたいと思います。

どうぞよろしくお願いいたします。

桑原まさゆき

1967年生まれ(57歳)
秦野市議会議員
文教福祉常任委員会/議会運営委員会
会派「ともにつくる秦野」
■詳しいプロフィールはこちら

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