鹿児島へ行くなら一度は訪れたいと思っていた知覧。
鹿児島から車を走らせること約1時間。
錦江湾を左に眺めながら右折して山を越えると知覧です。
古い町並みが現れ、ちょっと入ると知覧武家屋敷通りもある。
こんな感じの風情ある空間。
武家屋敷通りは、鹿児島県南九州市知覧町郡にある道路。行政上の正式な路線名は、南九州市道城馬場線、通称・武家屋敷通り線という。重要伝統的建造物群保存地区の中を東西に通る延長約0.8kmの侍町の通りであり、薩摩藩による藩政時代は、鹿児島への往来に使われた街道でもある。
(引用)Wikipedia
そんな界隈を抜けた小高い場所に特攻平和記念館はあります。
けして大きくないけれど展示は一日では見きれない。
戦時中、ここから特攻へ出撃した軍人さんたちがいた。
沖縄での陸軍による航空特攻作戦は、米軍主力が沖縄南西にある慶良間(けらま)列島に上陸した1945年(昭和20年)3月26日から始まりました。特攻作戦とは、重さ250kgの爆弾を装着した戦闘機で敵の艦船に体当たりして沈める、パイロットは必ず” 死ぬ・亡くなる” という『必死』条件の作戦でした。
特攻作戦には、知覧基地を始め、宮崎県の都城など九州の各地、そして当時日本が統治していた台湾など多くの基地から出撃していますが、知覧基地が本土最南端だったということもあり最も多く、全特攻戦死者1, 036名のうち、439名(中継基地となった徳之島・喜界島を含む)、全員の半数近くが知覧基地から出撃しています。
(引用)知覧特攻平和記念館ホームページ
特攻へ出撃する前に家族に向けて書いた手紙、隊員さんたちを支えた地域の人々。
いろんな思いに触れる度に何ともいえない気分になりました。
なぜ彼らは洋上で散ったのか。
背負っていたものは何なのか。
戦争とは何なのか。
そして、思う平和の尊さ。
ずっと平和を守り続けるのはボクら大人の使命です。