休み時間になると校舎の外へ飛び出していく光景はオランダも日本も同じ。
ちょっと違うのはオランダには校庭のない学校もあったことでしょうか。
こちらの学校では校舎の前にある広場が遊び場として使われていました。
鬼ごっこをしている子もいればサッカーをしている子もいる。
かと思えばベンチに腰を下ろしておしゃべりしている子もいる。
「やりたいこと」をそれぞれが楽しんでいる姿を見ると何だかホッとさせられますね。
「それぞれ興味関心が違っているのも面白いなあ。」
なんて少し余裕をもって見られるようになったのは最近のことのような気がします。
「一人ひとりの子どもたちが自分らしく成長できたらいいなあ。」
と心がけてはいましたが認識が甘かったと反省しています。
イエナプラン20の原則の2には、こんなことが書かれています。
2.
どの人も自分らしく成長していく権利を持っています。自分らしく成長する、というのは、次のようなことを前提にしています。つまり、誰からも影響を受けずに独立していること、自分自身で自分の頭を使ってものごとについて判断する気持ちを持てること、創造的な態度、人と人との関係について正しいものを求めようとする姿勢です。自分らしく成長して行く権利は、人種や国籍、性別、(同性愛であるとか異性愛であるなどの)その人が持っている性的な傾向、生まれついた社会的な背景、宗教や信条、または、何らかの障害を持っているかどうかなどによって絶対に左右されるものであってはなりません。
「イエナプラン20の原則」(イエナプラン教育協会HPより)
特に「誰からも影響を受けずに独立していること」という言葉が衝撃的でした。
「主体性」「創造性」「公正・公平性」というのは、ちゃんと気にしてきたつもりです。
でも…
「一人ひとりの子どもたちを、“誰からも影響を受けずに独立している”と捉えていたか?」
というと何とも微妙な感じなのです。
子育てにおいても親の願いが前面に現れてしまい失敗したなと思うことがあります。
「プロサッカー選手になってくれたらいいよなあ。」
なんていう具合にサッカーをやらせてしまっていた時期もあった。
最後は自分で決めてもらったけど進学先にも口を出した歴史もある。
親として自分の価値観を子どもたちに押しつけてしまっていたんですね。
子どもたちは大きく成長してくれましたが独立性をもっと認められたら…
そんな反省をしながら小さな子どもたちの姿を見つめています。
学校でも「目指すべき児童像」には私自身の理想ばかりを書き連ねていた。
しかも、それは全体主義で個にフォーカスしたものではありませんでした。
それは、私自身から見た理想の姿であって子どもたちにとってのものではなった。
だから、子どもたちは何となく楽しそうではなかった。
「個性というよりも独立性を認める」というところまで深く思い描けていたら…
もっと子どもたち一人ひとりをみる姿勢が変わり、提供できる場も違ったのでは?
そんな反省の日々…
「個から始める」というのは「独立性を認める」ことからなのでしょうね。
もっともっと強く信じたい「個の力」と共に胸に刻んでおきたいと思います。