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「昭和のこども」と「令和のこども」

写真家が捉えた昭和のこども

写真家が捉えた昭和のこども

朝から雨が降る昭和の日。

ふと思い出して書棚から写真集を引っ張り出した。

「戦前のこどもたち」から「高度成長のもとで」まで激動の昭和の姿がある。

地方では古くからの伝統を守り、こどもたちもその一員としての役割を担っていた。

もちろん厳しい労働もあったことは思うのだけれど…

昔からこどもたちは労働力としても重要な存在だった。

もちろん厳しい労働もあったことは思うのだけれど…

戦時下になると極めて困難な時代になった。

なんせ食べ物がない。

そんな話を両親や祖父母からも聞かされたことがある。

戦災孤児が町にあふれた話も聞いたけれど…

今ではそんな話も聞く機会がなくなった。

昭和30年代まではこどもも社会の大事な働き手だったのである。

そうだなあ、中卒で仕事に出る人たちも多くいた時代だった。

昭和40年代前半に生まれたボクが中学校を卒業するときには僅かになっていたけれど。

子どもがねじり鉢巻をして誇らしげに店先に立っている姿も凜としている。

背は低いけれど、今の子どもたちよりも筋肉質に見える。

明らかに体力は違うだろうって思う。

ベビーブームもあって地方でもこどもの数は激増した。

講堂にギッシリと集まった子どもたちの姿もある。

やたらと屋外で遊ぶ画像が出てくる。

子どもたちの数も多かったし、どこでも子どもたちを見つけることができた。

まだ自動車も少なかった時代だってこともあるだろうけども何だか羨ましい。

道路や空き地がグランドになった。グローブがない子は素手で守備につく。人数が少ないから三角ベースが普通だった。

なんて説明がある。

これには身に覚えがあって、ボクら50代は最後の世代なんじゃないだろうかって思う。

今の子どもたちはやらないよね。

自然と風土に深く根ざし暮らしてきた日本人。昭和30年代までは祈りが人々の生活の中にあり、地域の共同体で四季の行事を執り行ってきた。もちろん、こどももその重要な担い手で、幼い頃から先祖を大事に祀り、神仏に祈ることを自然に身につけていった。

そうだよねえ。

いろんな行事にかり出されたけれど、それはそれで楽しいこともあったよね。

神輿を担ぎ終えたらお菓子やジュースをもらうとか…

今はコロナ禍で中止ばかりなので、こういった体験ができないのは残念だよね。

「高度成長のもとで」の章になると子どもたちに新たな困難が待ち受けていた。

多くの習い事、道路整備や宅地化で遊び場が狭められた。

令和の今、外で子どもたちの姿を見る機会が激減している。

安全に遊べそうな公園とか家の中にしかいない。

そんな時代の子どもたちがボクら大人ができることってなんだろうか。

まさかタブレットを与えることではあるまい。

そんなことを考えた昭和の日。

昭和のこども
昭和のこども
桑原 昌之

くわさん✨️
スポーツと教育の現場に関わる教育研究家
「ともに歩もう、この先の秦野へ」秦野市議会議員
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教育
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