茂来館で見つけた本を読み始ました。
満蒙開拓団でクローズアップされがちな大日向ですが、そもそも物流の要所だったようです。
千二百年以上前、奈良時代の初期、十石峠の旧道は開さくされた。それと同時に、大日向村がはじまったのではないかと推定される。大日向村が武州街道沿いの街道の村であったことは、以後長くつい最近に至るまで、大日向小学校が現在地に移転する直前まで、村の性格に深く刻印された事実なのだ。
そんな前に開削されたってのも驚きですが、学校も別のところにあったらしい。
それは、それで調べてみないといけませんね。
奈良・平安時代には、十国峠旧道は秩父方面から奈良、京都への正税の輸送路だったのであろう。
中山道へ繋がるということを考えたら、妙に納得もしてしまう話です。
このルートが最短距離だということですから。
群馬方面へ、佐久平で収穫された穀物などを運んでいた。
という話は、地元の人たちからもレクチャーしていただいていることです。
そこには「馬」が登場するのですが、物流には「馬」が欠かせなかったわけですね。
武州街道は秩父から諏訪まで繋がっています。
そんなわけで…
諏訪神社への重要な街道でもあったと教えてもらったこともあります。
たしかに、諏訪を感じさせる場所は、多々ありますよね。
ちなみにこの本ですが…
歴史だけではなく、地学分野からのアプローチもあるのが面白い。
じっくりと読み進めようと思います。
ちなみに、こんな本も出ているらしいので茂来館で探してみようと思います。
満州分村の神話 大日向村は、こう描かれた (信毎選書 26)
国策として満州開拓が進められた時代、村を二分して入植する単独分村を決め、短期間で人員の送出を実現、全国でも模範とされたのが長野県東部の山村、現佐久穂町の大日向村です。満州への分村促進のため、写真誌や小説、映画、演劇など様々なメディアに喧伝さ...