教室は、いつまでたっても古いままです。
子どもたちは黒板を向いて座っている。
先生の話を聞きながら、板書されているものをノートに書き写す。
先生たちは、延々と説明を繰り返して喉が痛いっていう。
子どもたちが気にしているところは、テストに出そうなところ…
後は、自分のアタマの中に思い描かれる世界に没頭して聞いてはいません。
そんなに集中力って続きませんから(笑)
そんな古くさい仕組みの中に、どんどん新しい施策がやって来るのです。
ゆとり教育からの脱却って何だ?
国力を維持するために必要な人材をつくるってのも、ある程度は理解できる。
でも、本当に大切なことが忘れられていないだろうか。
個人が大切にされること。
子どもたちの興味関心からスタートすること。
教室は、それぞれの子どもたちが潜在能力を発揮できる場になっているだろうか。
勉強ばかりさせて、学ぶこと自体がつまらなくなったら意味がありません。
ゆとりがないのは、子どもたちばかりではありません。
先生たちにも、ゆとりがないのです。
仕事に忙殺されることで、一人ひとりの先生たちの個性が発揮されない。
これは、先生である前に、人として子どもたちを接することができないってことです。
先生にとっても、子どもたちにとっても、もったいない。
外国語活動が教科となっていく今後…
授業時数は増えるばかりで、浅く広く教材研究をせざるを得ない現実もあります。
道徳も教科になる。
そもそも、学びっていうのは、個人の興味関心が起点ではないのでしょうか。
仕事だって、個人のやりがいっていうのが起点ではないでしょうか。
総合的な学習の時間に外国語活動を組み込めるというのは、正直いってありがたい。
古い仕組みに、どんどん上乗せする新しい施策は学校現場を破壊する。
結局は、子どもたちのためにならない。
もちろん、先生たちのためにもなりません。
有識者会議ばかりを開いていないで、エリートの論理ばかりじゃなくて…
現場を見に来て、新たな施策を検討、導入してくださいね。
まあ、文部科学省も大変なんだろうけど…
いろんなものが、お上から降りてくる。
学校現場は、対応に迫られる。
どんどん、先生たちは苦しくなって、先生たち自身の個性は失われていく。
そんな中で、子どもたちが豊かに育っていくわけがない。
と思うのでした。
みんなで知恵を絞って教育を築いていきましょう。
Good Luck.