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津南町史を読みながら幸せを考える。

津南町史

津南町史

昨夜、秦野へ戻ってきたら暑い。

完全に夏へ逆戻りしているような大根(おおね)地区は弘法山の麓にあります。

相模湾から直線距離で10kmほどで夏は蒸し暑い。

冬も温暖な気候でミカンが栽培できるような地域です。

そんな地域に45年前に引っ越してきました。

豪雪地である新潟県津南町出身の父と会津生まれの母、そして弟と共に。

夏休みなどの長期休みを利用して帰省していた両親の故郷。

どんな歴史があるのか、どんな人たちのDNAをもってボクが存在しているのか…

気にしつつ52年生きています。

会津の祖父は旧帝国海軍の教官で終戦を迎えました。

戦時中に、戦地で散ってしまった教え子たちに対する思い…

会社を定年した後、長年にわたり教え子たちの家を行脚した姿もあった。

「この子たちだって幸せに生きたかったのだろうに…」

と会うたびに話をしていた祖父の影響もあって教員になりました。

子どもたちには幸せになってほしい。

先週の日曜日は、津南の祖母の33回忌でした。

津南は豪雪地帯で有名で、子どもの頃は帰るのも大変でした。

それが、田中角栄さんの列島改造論もあって少しずつ便利に。

それはそれで有り難かったのですが、あまりにも我が家のルーツを知らない。

津南について、もっと知らなければいけないことがある。

そんな思いで町役場へ電話をしたのは、もう20年前のことです。

津南町史を購入して事あるごとにページをめくり続けました。

薄っぺらに記述できない重みのある内容に圧倒されます。

今回、気になって開いたページは戦時中の記述です。

ボクがいる長野県南佐久郡佐久穂町大日向も満蒙開拓団の悲劇があった。

津南はどうかと気になりました。

なんと大日向を上回る1000人が海を渡っています。

しかも、満州へ行っても召集があって男の人たちは戦地にかり出された。

津南町出身の戦死者は600名を超えています。

終戦間際の8月1日の長岡空襲の際の町の様子も書かれているし、

津南町にある発電所も空襲に備えていたとの記述もあります。

本当に大変な時代を経てボクらが生まれたわけです。

戦後の日本を支えてくれた人たちがいて今のボクがいる。

現代には現代の課題があるけれど…

子どもたちの幸せを願う気持ちは今も昔も変わらないと思うのです。

これはボクの願望かもしれないけれど…

「生きててよかったなあ」

って子どもたちが感じてくれる世の中になるように尽力したい。

せっかく繫いでくれた命なんですから…

やるしかありません。

両親ともあれこれと話す貴重な土曜日。

二人の思いも受け継いで明日からも頑張らないとね。

どこまで走れるかは分からないのが正直なところですが…

チャレンジを続けてみようと思います。

桑原 昌之

スポーツ、教育、暮らし&まちづくりなど自由気ままに。
教育研究家・秦野市議会議員
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