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東日本大震災から9年

東日本大震災から9年

東日本大震災から9年

あの震災から9年が経ちました。

新型コロナウィルス騒動で何だかかき消されてしまっている感じがしますが…

忘れることはできません。

大きな揺れがあってから2階にいたサッカーボーイズ2号は階段を降りてきました。

「やばくね?」

ボクは小学生の時にあった宮城県沖地震を思い出しました。

「震源地はどこだろう?東北かもしれないな」

すぐにテレビをつけてNHKを視聴。

やっぱり東北だった。

そんなことを呟きました。

とにかく揺れが長くて気持ちが悪くなった。

そして、2号とテレビの前に釘付けになった。

「津波警報」が画面に表示されている中で、カメラは刻々と状況を伝えてくれる。

信じられないような光景が続いたのです。

津波警報について何度も何度も知らせてくれるアナウンサー。

「これはただごとはない」

「相模湾とか東京湾はどうなのだろう?」

とにもかくにも不安ばかりが募っていく。

警報を示すラインが画面に映る日本地図上で伸びていきます。

できることはTweetすることだけでした。

本当にそれしかできなかった。

ちなみに、この時点でボクは社会人大学生で学校には勤務していませんでした。

それでも、小学生や中学生をはじめ多くの子どもたちの安否が気になります。

近隣の小学校から子どもたちが続々と帰ってくる。

朝は集団登校をしているれど、帰りはいつもなら自由に帰ってくる子どもたち…

その日は、ちゃんと集団下校。

当時、小学生だったサッカーボーイズ3号も帰宅。

パッと準備させて、パッと下校させてくれたのだと胸をなでおろしたのを覚えています。

さて、問題はサッカーボーイズ1号。

私立高校ということもあって早めの春休みに突入して東京へ練習試合へ。

彼らは東京湾沿いのグランドでボールを蹴っていたが即刻中止。

でも、電車は動かず相手先の高校で一夜を明かすことに。

とにかく不安な夜でした。

あれから9年が経っているけれど、まだまだ震災の爪痕は大きく残っています。

まだまだボクの中でも震災は終わっていません。

きっと、死ぬまで終わらない。

「そんな中でボクは何ができるだろうか」

そんなことを考えました。

一つだけハッキリとしていることがある。

「目の前にあることに真剣に向き合うこと」

人様に対して、こんなことをしてやろうなんてのは100年早い。

ただただ、その一瞬を懸命に生きるのみ。

そんな毎日の積み重ねで死ぬまで進化を続ければ幸せなんだと思う。

まずは、珈琲でも真剣に淹れよう…

3月11日は忘れてはいけない日です。

合掌。

桑原 昌之

スポーツ、教育、暮らし&まちづくりなど自由気ままに。
教育研究家・秦野市議会議員
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