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「終戦記念日」について

大海原に囲まれる日本
平和であることが一番

今年も8月15日がやって来ました。

先の大戦で多くの犠牲者を出した我が国にとって重要な一日です。

様々な考えの人たちが、それぞれの思いを語る日でもあります。

「新しい戦前」「戦後80年」「昭和100年」あたりが今年のキーワードでしょうか。

それはさておき…

やっぱり、どうも「終戦記念日」って馴染まない。

確かに天皇陛下の玉音放送があって終戦を伝えた日ではある。

でも、アジア各地や満州などでは戦闘は終わらず…

小野田少尉に至っては1974年まで戦っていたんです。

その後も戦争状態だったと言っても過言ではないでしょう。

そんな8月15日はボクにとっては会津の祖父母に思いを寄せる大切な日。

司馬遼太郎の「街道を行く」にも登場する祖父。

磐梯山の麓から海軍へ進み、戦艦山城、重巡洋艦摩耶に乗っていた。

山城の仲間たちはフィリピン沖で沈み、摩耶はミッドウェー海戦で反転して帰還。

その後、海軍機関学校の教官となって終戦を迎えます。

担当した多くの少年兵たちは戦死…

戦後、務めた電力会社を定年退職した後には、教え子たちの家を訪ね歩いていた。

そんな祖父の影響を大きく受けて小学校教諭となりました。

お国のため、愛する家族のためといって散っていった少年たちの無念を語る祖父…

99歳まで生き抜いた後は旭日旗に見送られていきました。

そんな祖父を支えた祖母は、その昔、東北最大と言われたお寺の総代を務める家柄。

その昔というのは伊達政宗によって焼かれてしまったからなんですけどね…

普段は優しいけれど、いざという時はとても厳しい人でした。

「ならぬことはならぬものです」を地で行くような…

亡くなったときには菊のご紋をあしらった短剣を胸に置いていた。

祖父母にとってボクは初孫なので会津のアイデンティティーが色濃い。

会津生まれの母にも「会津士魂」にあるようなイメージで育てられてきました。

そんな会津の血を引くというわけではないかもしれませんが…

「終戦記念日」って何だか変じゃない?

各地で空襲があり民間人が多く犠牲になり原爆を2発も落とされた。

LAにある全米日系人博物館に行けば容易に理解できますが…

ボクら日本人は人として扱われていないことが分かります。

長岡で空襲があった時の話を父から聞いたり…

平塚で空襲あった時の話を地元の人から聞いたり…

占領軍がやって来てからの神奈川県内の話を聞いたり…

現代と重ね合わせても「終戦記念日」って馴染まない気がするのです。

単純に「戦争に負けた」わけですから「敗戦の日」なんじゃないだろうか。

何かに抗うというわけではありませんが…

日本人のアイデンティティーは大切にしたいと思っています。

もちろん戦争には反対の立場です。

戊辰戦争後の会津、第2次世界大戦後の日本を考えたら戦争の道は選べない。

ましてや子どもたちを戦場に送るなんてことはしたくありません。

「ならぬものはならぬものです」