気持ちの良い青空が広がった丹沢・大山の麓。
早朝から電車に揺られて西日暮里にある開成学園へ。
関西国際学園の中村学園長、森山東京初等部マネージャーとの訪問です。
長らく勤務する大学時代の同級生である小竹先生、野水校長先生と懇談。
生徒主体の様々な取り組みなどについて興味深くお話を聞かせていただきました。
難関受験としても知られる伝統校であることは皆さんもご存じかと思います。
学園のあらましには、こんなことが書かれています。
学問の目的とするところは自分自身に固有の能力を進歩させることであり、小さいところで言えば、我が身、我が家の利益、大きいところで言えば、社会の利益を興そうとするところにあります。つまり、世の中において利益をもたらし、幸福をもたらすものは、皆、学問です。
まずは自分自身、そこから少しずつ枠を広げて社会の利益へ。
こういった学問の価値を明治初期に論じているところに驚かされます。
「幸福をもたらすのは、皆、学問です。」って本当にその通り。
世の中のことをよく注意・観察するときは、どの事物も、学問とならないものはありません。この点をなおざりにすると、どんな学校に在籍して、どんな立派な大学者についても、どんな多くの書物を読みあさっても、学問にはほど遠いものになるでしょう。学問の成否は、この注意・観察がどの程度であるかによります。
どの事物も学問になる。
ただただ本を読んで分かった気分になっているようではいけませんね。
改めて注意深く観察することの価値を見直したいと思いました。
そうして、この注意・観察は、教える人に属するのではなくて、もっぱら学ぶ人に属するのです。自分で工夫するとか案出するとかいうことは、わずらわしいものです。しかし、まねにばかり熱を入れていては、ついに事物について推論・思考をしなくなるという害があります。
確かに自分で工夫して何か始めるとか生み出すのはめんどくさいです。
マネだけしていれば楽だなって思うことは多い。
でも…
やっぱりそれだけではダメなんですよね。
「学問の目的とするところは自分自身に固有の能力を進歩させること」
開成は東大進学でも有名ですが勉強ばかりしているだけではなさそうです。
実に70ものクラブ、同好会が存在することにも驚かされました。
教室でトロッコを作っていたり、学園祭で作る開成焼の試作をしていたり…
野球、バスケットボール、剣道などの部活動に真剣に取り組んでいたり…
ホールではカードなど様々なゲームに興じていたり、ピアノの演奏をしていたり…
校内のあらゆるところで質実剛健、進取の気性、自由の精神を垣間見ることができます。
「学問の目的とするところは何か?」を改めて問う良い学びの機会をいただきました。
開成学園の皆様に感謝申し上げます。