なんだか蒸し暑さを感じる丹沢・大山の麓。
半袖で歩いていても汗がジワーッと出てきそうな木曜日です。
朝からファシリテーションの勉強を深める時間もありました。
これまでやって来たことを振り返りながら更にアップデート中。
[再考 デジタル教育](読売新聞)の記事が気になります。
「個別最適な学び」と「協働的な学び」という言葉が教育界で飛び交っています。
学習指導要領の改訂、GIGAスクール構想による一人一台の端末など…
紙の教科書やドリル、プリントだけを使って学ぶ時代ではなくなりました。
ボクの説明よりも分かりやすい動画も今はネット上にあふれています。
教科書にもQRコードがある時代。
いつでも、どこでも、だれとでも繰り返し学ぶことができるのはデジタルの利点。
「あー!聞き逃しちゃったよ!」
なんてことがあっても動画なら再生が可能です。
「それじゃあ集中力が身につかないんじゃないですか?」
というような質問をいただいたこともありますが、そういう側面もあるでしょう。
しかしながら…
ただただ先生の説明を聞いて何となく進んでしまう授業よりはいいでしょう。
自らツールを選んで、自分にあったペースで学ぶことができる。
「一人ひとりが静かに画面に向き合っているだけではないか!」
という指摘も分からなくはありませんが…
そういった教室では「みんなで学ぶ」という視点が欠けていないでしょうか。
一人ひとり、生まれも育ちもちがう子どもたちです。
それなのに、同じ学習進度で教科書のページをめくらせる方がおかしい。
旧態依然とした授業スタイルに端末を入れたのであれば確かに効果は薄いでしょう。
7年前の教室の黒板に今日の画像にあるホワイトボードをかけていました。
「個別学習は一人ひとりの学び、自分のペースを大切にしてね」
「困った時があったら、チームの友だちに聞いてみよう」
「みんなで学ぶことでみんながパワーアップできるようにね」
「学びを真ん中においてみるとサークルみたいになるでしょ」
そんな話をして2学期がスタートしていた頃です。
「人はひとりでは生きていけない。だから協力するんだよね」
そんなことを常に意識して教室という空間を全員でつくることです。
「自分の人生は自分で切り拓くものだ。だからまずはやってみよう!」
ということも念頭において、個別学習と協働学習を当時は考えていました。
「個別最適な学び」と「協働的な学び」はセットです。
そして…
教室はただテストの点数を取るための知識を獲得する場でもありません。
そこには「みんなで学ぶ」「みんなで空間をつくる」「みんなで歩む」
というような哲学も置かれている必要があるとは思いませんか?