歴史は都合のいいようにつくられる

江戸城北の丸田安門

江戸城北の丸にある田安門を初めてくぐりました。

太田道灌から始まった江戸城の構築はスケールが大きいものです。

この一つの門をとっても地方にある城とは風格が違うことがわかります。

強大な力をもって徳川幕府は250年あまりも続いたってことでしょう。

ここに明治維新がやってきて大きな変革をもたらしていきました。

簡単に言ってしまえば、官軍となった長州や薩摩が政権を握って大日本帝国ができました。

近代化することは良かったかもしれませんが、その後はどうだったのでしょう。

確かに大陸までヨーロッパ諸国がやって来て、結果として日清、日露戦争が起こった。

そして、最後はアメリカとの戦争となり敗戦国となりました。

多くの兵隊たちが戦線で倒れ、爆撃などで多くの一般市民の命も奪われてしまいました。

西国の武士たちは、源平の戦いや関ヶ原の戦いで辛酸を嘗めてきた歴史があります。

差別問題も根強いところが今でも残っています。

そんな土地柄なのか、特に一部の政治家たちが今でも横暴を続けているような気がします。

靖国神社の大村益次郎像に「東北の乱を平定」と書かれています。

江戸城は開場されたのに、わざわざ東北までやって来て戦闘を起こす首謀者は長州藩です。

「勝てば官軍」とはよく言ったものです。

教科書には、かっこよく「明治維新」と書かれています。

戊辰戦争における東北での横暴ぶりは書いてありません。

戦う気など全くなかった会津へ攻めてきた長州のリーダーが大村益次郎です。

ボクの中では、どう考えてもヒーローではないのですが靖国だから仕方がありません。

犠牲になった会津藩士は、埋葬することさえ許されませんでした。

先の大戦で軍部をコントロールして暴走させたのも長州閥の指導者たちです。

結果として、今度は戦勝国にとって都合のいいように歴史が作られてしまいました。

「ボクらの生活が今あるのは、こういう歴史があるからだよ。だから、少しは我慢しなよ。」

そんなことを言われている気がするのです。

もしも…

幕府が残った形で近代化したらどうなっていたのだろう。

会津も攻め落とされることなく残っていたら?

などとちょっと考えてしまいます。

ちょっと不穏な朝鮮半島情勢を見ていてイヤな気分になります。

時の指導者たちによって歴史は都合のいいようにつくられる。

来年の明治維新150年に向けて、あれこれと考えさせられることになりそうです。

Good Luck.

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