まるで春先の雪が降ったかのような敷地を通って出勤する。
大日向小学校には職員室はなくて校長室もない(笑)
それでもボクの定位置はあるので玄関を抜けたら真っ先に机に向かう。
「ん?講談社?」
どうやら献本らしい…
開けてビックリ!
なんと山口裕也さんの新刊だった。
既にKindle版まで出ている。
苫野一徳先生の紹介で杉並区へお世話になったことがある。
学校研究のキックオフとして小学校へ。
たまたま校長先生は大学時代の先輩だったな。
更に済美教育センターで、こちらもキックオフ役でワークショップ。
そんな時にお世話になったのが山口裕也さんだった。
新書とは呼べないほどのボリュームもある。
冒頭の部分を読むだけでも十分に引き込まれていく。
「そもそも、教育は何のためにあるのか」
「教育に、国、地方自治体をはじめとした公的な機関が携わるのはなぜか」
その答えは、とてもシンプルなものです。
「自らの道を拓く『自立』と、誰もが共に生きる『共生』のため」
「自立と共生のための『学び」を、『すべての人』に届けるため」
いきなりこんな問いから始まって、シンプルな答えが書かれている。
「『すべての人』に届ける」ってところにも納得。
私たちに必要だったのは、問題に対処するための個々具体な「やり方」を考える前に、もう一度すべてを「底」から考え直すことではないか。
「どんな生き方であれ、わたしはわたしが生きたいように行きたい」
ここが心の奥底にあればよい。
まさに重要なのはここだ。
この一節の前に、こんなくだりがある。
よく考えてみれば、私たちはみな、一人一人違う存在です。一人として他人と同じ人はいませんし、それどころか、一人の中にもいろいろな側面があるものです。当然、子どもたちも同様です。みな、生まれも育ちも違っているのが当然だし、得意なことも苦手なことも違います。こういうと、「そんなことは当たり前」だと思うでしょう。ところが、いざ現場の実践に落とし込む段になると、この「当たり前」がすっかり抜け落ちてしまっているのではないでしょうか。
この部分に立ち返れば、「一人ひとりの子どもたちにはそれぞれの幸せがある」ってこと。
それは子どもたちのみならず大人も同じだ。
その人の幸せは、その人のものであって生き方も含め尊重されるべきだ。
教職員やスポーツの指導者も頭では分かっているはずなんだけどなあ。
これがなかなか実践の場となると難しさを感じる人もいるようで(汗)
ボクにも難しい時期はあった。
相手をリスペクトしてるつもりなのに実は自己満足なんてことがね。
それぞれの幸せを考えられるようになってきたのは、ここ数年のことだし…
まだまだ未熟で修行中の身だけれども。
だからダメってことじゃなくて、これを機に共に考えていこうよ。
お上の声を待っていても変われない。
ボクら一人ひとりが「変えるぞ!」って意識をもってやることだ。
ということで、この本オススメですからね。