丹沢・大山の麓は雨。
心身共に疲労回復に努める日曜日。
Jazzを聴きながらKindleで本のページをめくる。
といっても紙じゃないので音はしないけれど…
割と複数の本を並行して読むことが多いので今日も2冊。
そのうちのひとつがこちら。
「あ!そうそう、そういうことってあるよね」
というような一節に自分の見てきた世界を重ねる。
ボクは長らくスポーツと教育の現場にいる。
そこは「競争」なんてのは当たり前の世界。
ところが厄介なのは「強い」とか「弱い」とか「上」とか「下」とか…
「合格」と「不合格」、「昇格」と「降格」なんてこともある。
「周りの人たちは全て敵であり、蹴落とす存在だ」
というような乱暴な話を耳にすることだってある。
でもね…
本当は「敵」なんていないんだよ。
「Respect」
ボクはそんな言葉を出会った子どもたちにプレゼントしてきた。
「相手チームは敵じゃない。一緒にプレーする仲間なんだよ」
ということをジュニアサッカーも含めスポーツの現場で体感してきたからだ。
同じ空間で共に戦ってくれた人たちに敬意を払わないではいられない。
時としてRespectの欠片も感じない人たちに出会うことがある。
そんな時は爽やかにスルーすればいい。
自ら戦わずして権力を行使して挑んでくる人たちも論外。
「太陽の下では、誰もが同じ家族の一員である」
ってたしかブルース・リーは言っている。
だから、万物がRespectの対象だ。
そうそう東京都知事選が始まっている。
「○○ではダメなんだ。だから私を都知事に!」
なんて言っている候補者たちの声には辟易してしまう。
そこにあるのは「競争」でしかなく「共創」ではないからだ。
見たことのない景色を皆で見るために、ただ存在を紡ぎ合う。そこに、「選抜」する/されるという概念は無用だ。他者や環境と「組み合わせ」て生きること。そう楽ではないのかもしれないが、生きた心地はよっぽどするだろう。他者よりも「抜きんでる」のではなく、いつもそばに、頭の片隅に、画面の奥に……どんな形でもいい、他者と「ともに在る」こと。これこそが労働であり、教育であり、社会で生きることだ。
働くということ 「能力主義」を超えて (集英社新書)
「ただ存在を紡ぎ合う」
そんな人であり続けたい。