このまま梅雨明けしてしまうのか。
天気予報を眺めながら心配になる木曜日です。
昨日は諏訪大社上社本宮へ。
改めて日本は森を大切にしながら生きてきたことを再認識させられました。
第2次世界大戦以降の我が国の有り様を見つめ直した方がよいかもしれません。
教育も然り…
一つの絵画作品をつくろうとするとき、キャンバスの大きさから始まり、どんな種類の絵の具を、どこに配置するかということまで、さまざまな条件や選択がありえます。一人の人間が生まれつきもっている才能はさまざまで、各人の範囲内でよい絵を仕上げていくにはどうすべきか。そういうことを突き詰めて実践していくのが、教育ということです。それを「修行」と言い換えてもよい。
(中略)ところが、そういう厳しい修行を積んだことで、何か具体的に他人や社会のために役立ったのかといえば、けっしてそうではありません。修行を積んだその人自身が、一つの素晴らしい作品なのです。そういう価値観を復活させるべきでしょう。
養老 孟司; 徳川 恒孝. 江戸の智恵 「三方良し」で日本は復活する
ボクらは「人の役に立ちなさい」と言われて育ってきた。
そして、長らく教員としても「世の中に貢献しよう!」なんて伝え続けていました。
でも…
それによって子どもたちを苦しめてしまっていたこともあったと思うのです。
誰かと比較しての貢献じゃないほうが健全なのかもしれません。
いまの日本では、人を育てるといえば、「それが何のために役立つのか」とすぐなってしまい、それを「能力主義」と称しています。でも、本当はそんなことは取るに足らないものであり、「これだけ人がいるのだから、一人ひとりの能力をできる限り活かしていこう」というのが、もともとの日本社会の姿でした。その意味で、「一人ひとりの人間が、その人なりにいかに完成するか」という価値観を、日本人は取り戻さなければなりません。そういう「修行」がないから、政治家が品のない人相になってしまう。
養老 孟司; 徳川 恒孝. 江戸の智恵 「三方良し」で日本は復活する
「あいつはできるやつだ」
「あいつは使えない」
実はよく分からない価値観で批判ばかりをする人たちがいます。
7月7日に投開票が行われる都知事選の報道を見てもそう…
スポーツと教育の現場に関わってきたボク自身も同じような感覚だった時期があります。
「能力主義」あるいは「実力主義」を優先していた頃があるのです。
全くもって「一人ひとりの物語を大切に」とは言えない状態でした。
でも今は、誰かを安易に「できる」「できない」などと区別するなんてことはできません。
「一人ひとりの人間が、その人なりにいかに完成するか」を大切にしたい。
ありがたいことに多くの子どもたち、保護者の皆さんや先生たちと出会う。
何が最適とは言い切れませんが、ボクなりの考えを示して対話する。
そんなことを繰り返して教育に関わることを考え続けていけたら幸いです。
こちらの本もオススメです。