阪神・淡路大震災から30年が経った。
寝屋川駅近くに住んでいた大学時代の友人に電話をかけたことを思い出した。
当日だったのか、その翌日だったのかは定かではない。
「めちゃ揺れたけど大丈夫やで」
正直、ホッとした。
しかし…
テレビや新聞報道で被害状況を知る度に暗澹たる気持ちになったことも覚えている。
当時は小学校に勤務してから3年目、目の前には卒業を控える6年生たちがいた。
関東大震災では震源とされる地域の近くにある小学校だ。
地震への備えについて話をするように通達があった。
教室にいるときには机の下にもぐる。
登下校中はブロック塀から離れるなど身の安全を確保する。
避難訓練は時として突然に行われ、防災意識を高めることの重要性が盛んに語られた。
あの震災では神戸を中心に高速道路や鉄道の高架橋が落ち多くの建物が倒壊していた。
その後、耐震診断が行われようになり建築物の補強が強く叫ばれるようになった。
市内にある全ての小中学校で耐震補強工事が行われた。
中には耐震補強工事をしても強度が保てないとのことで新築された校舎もある。
地震への備えは万全かと思いきや…
自然の脅威は時として私たちの想定を軽々と超えてしまうことがある。
東日本大震災では大津波がやって来た。
能登半島でも大きな地震があって多くの集落が孤立した。
どちらも復興は続いている。
阪神・淡路大震災でも未だに傷は癒えていない。
【随時更新】阪神・淡路大震災から30年 神戸で追悼式典 | NHK
【NHK】6434人が亡くなった阪神・淡路大震災の発生から、17日で30年です。神戸市など大きな被害を受けた地域では犠牲者を追悼す…
「震災の記憶」
忘れないように、教訓としても生かしたい。
戦争にしても震災にしても風化させてはならないことばかりである。
世代や地域を越えて経験と教訓を繫いでいくことが重要だ。