朝から冷たい雨が降った丹沢・大山の麓。
いつもなら朝は読書からの散歩。
でも今日は雨だったので読書を長めに。
いつも文字ばっかり見ている気がします。
本だけでなく資料なども画面や紙を通じて目に入ってくる。
これまでの文字数はどれくらいなんでしょうね(笑)
最近、Kindleで読んでいるのが養老孟司先生関連の本。
考えさせられる点はいくつもありますが、心に刺さった一文がこちら。
僕たち日本人は田んぼでつくられたコメを食べて生きている。つまり田んぼは自分の一部であり、自分自身と言ってもいいのですが、現代人は田んぼを「環境」と呼んで、自分から切り離してしまいました。
日本のリアル 農業、漁業、林業、そして食卓を語り合う (PHP新書)
57年ほど生きていますが、だんだん田んぼが身近な存在でなくなってきました。
「世の中の変化もあるから」と言ってしまえばそれまでかもしれません。
それでもボクら人間は自然と共に生きてきたことを忘れていないか。
空気も同じです。空気がない状態では人は一瞬たりとも生きられないのですから、空気は自分自身です。それなのに、今は空気を「環境」と呼んで、自分から切り離してしまっています。
日本のリアル 農業、漁業、林業、そして食卓を語り合う (PHP新書)
「その通りだな」って思います。
でも、当たり前すぎて感謝もせずに生きている気がします。
「ボクらは人間だから」と特権階級のように振る舞っているのかもしれません。
江戸時代の人は誰も「環境」など語らなかったはずです。我々は土からもらったものを食べて、土に返している。だから田んぼは自分自身だし、田んぼを大事にするのは自分を大事にすることと同じでした。同様に、魚を食べるのは海を食べることでしたから、海も「環境」ではなく、自分自身でした。
日本のリアル 農業、漁業、林業、そして食卓を語り合う (PHP新書)
我々は土と共に暮らしているのだということ。
そして森と海も繋がっているということ。
アスファルトで覆われた町に住んでいると忘れてしまいますよね。
「自分自身も自然の一部であること」
意識して生きようと思います。
その上で人生という名のボールを転がせたら幸いです。