タブレットを片手に子どもたちが、手に入れたい情報を検索しています。
6年生にもなればググることなんて簡単なこと。
あっという間に欲しい情報を得てしまいます。
彼らは家でスマホを使い、ありとあらゆる検索ができます。
わざわざ本屋や図書館へ行って書棚を探しまわることなんてしません。
彼らが手にしている教科書の内容なんてちっぽけなもんです。
インターネットの海に漕ぎ出せば、とてつもなく大きな広い世界が待っています。
そんな状況なのに…
教室っていうところは、相変わらずの状況です。
脈々と受け継がれてしまう伝統の授業
先生が延々と黒板の前で説明をしている。
子どもたちは、先生の話をちゃんと聞いている。
教科書を読むだけで理解してしまう子には退屈な時間。
空想にふけっている子は、全くもって別次元の時間。
説明を聞いたら少しだけ練習問題を解く。
分かっている子には、スラスラと解けるので簡単すぎる。
空想にふけっていた子は、何がなんだかわからない。
問題を問いたら行列をつくって丸をつけてもらう。
ちゃんと並んで丸をもらう待ち時間が退屈なのに。
我先と先生の前に並んで序列化が進む。
先に並んだ子が賞賛されて、並べない子は厄介者になる。
とりあえず、先生が進みたいページまで終わればOK。
それが伝統の授業みたいになっていませんか?
子どもがググる時代の授業
個人差はあれど、子どもたちには獲得欲求があります。
「これなに?」
小さな子どもたちが口にするアレです。
「なんだと思う?」
「わかんない…」
会話をしながら予想したり、仮説を立てたりしていきます。
「どうすれば分かるかなあ?」
「先生、これって調べる方法ってあるかなあ?」
「うーん…」
「例えば、図書室のこんなコーナーに関連する本があるかもね。」
「ググってもいい?」
「どちらでもいいんじゃない?」
「じゃあ、調べてみる。」
教室にあるノートパソコンで、或いはタブレットでググり始めます。
「先生、図書室へ行ってきます。」
ある子は、図書室へある本を探しに出かけます。
それぞれが、自分のゴールを目指しますがアプローチは違っていいのです。
一人ひとりがゴールを目指すために
子どもたちは、それぞれがゴールを設定しています。
もちろん、しっかりとした課題を設定できる子もいれば甘い子もいる。
それでも、緩やかに見守りながらアドバイスをしていきます。
これはこれで大変な作業です。
「目指すゴールは見えているか?」
「現在地はどこか?」
「どうやってゴールへ向かおうとしているのか?」
「もっと適切な方法はないか?」
「安易に答えを与えることにはならないか?」
「もう少しチャレンジさせなくていいか?」
いろんなことを考えがら、一人ひとりと向き合います。
自分から行動するのが認められる教室へ
自分から行動するのが認められると、子どもたちはグングンと動き始めます。
「これやっていいですか?」
なんて質問はなくなります。
「先生、こうするね!」
って言いながら、自分のやりたいように学習を進めていきます。
「それやりすぎじゃね?って時だけ止めるね。」
子どもたちには、そんなふうに伝えています。
そもそも、授業ってのは先生のためにあるものではありません。
子どもたちが学ぶためにあるのです。
だから、主導権は子どもたちに渡さないといけません。
え?暴れる子がいる?
え?ちゃんとやらない子がいる?
そんなの最初だけだし、ちゃんと意義を伝えれば大丈夫です。
なんでもググれる時代…
世界といとも簡単に繋がれる時代…
子どもたちに主導権を握られせなければ、情報の海に溺れてしまいます。
学び方は、それぞれでいい。
もともと違う人間なんですから!
Good Luck.