「教える教師」からの脱却するヒントはグランドに。

それぞれに活躍の場を!

子どもたちがサッカーボールを持ってグランドへ集まってきます。

「さあ!今日も楽しむぞ!」

「テレビで観たメッシみたいなドリブルするぞ!」

「今日は、めっちゃカーブするフリーキックを決めるぞ!」

という具合にワクワク感に満ちあふれています。

そこへコーチが登場して練習がスタートします。

決められた練習メニューがあって、その中で子どもたちはボールを蹴り続ける。

気がつけば、パス練習ばかりでメッシみたいなドリブルをするチャンスはありません。

おまけにパターン化されたシュート練習ばかりでフリーキックのチャンスもない。

「あれ?何だか楽しくないなあ。」

それでもコーチの表情はどこか満足げ…

コーチにしてみれば自分で決めた練習メニューを子どもたちが従順にこなす。

思い通りに動いてくれるのですから当然ですよね。

あれこれと教え続けて、子どもたちには教えたとおりにプレーしてくれる。

それで何となく大会で結果が出てしまえば、それでいいと思ってしまう。

ところがレベルが上がると全くもって通用しなくなる事態に直面します。

教えてきたことが全く通用しない。

ドリブルしたらボールは簡単に奪われるし、パスは通らない。

気がつけば自陣で守り続けている子どもたちにイライラする。

できないことばかりに目が奪われて、試合後は説教タイムです。

ただの説教で終わるので、次に繋がることはありません。

「さあ!今日も楽しむぞ!」

「テレビで観たメッシみたいなドリブルするぞ!」

「今日は、めっちゃカーブするフリーキックを決めるぞ!」

なんていうワクワク感はどこへやらです。

ボクにもこんな時代がありました。

完全に残念なコーチで、当時の子どもたちには申し訳ない気持ちになります。

そこに登場したのが、JFAの公認コーチライセンス制度での学び。

特に心に残ったのが「クリエイティブな選手」という言葉でした。

「日本のコーチは教えすぎなんだよ。先生たちもそうなんだけどね。」

十数年前に、とあるJリーグクラブのグランドで先輩に言われた言葉も強烈でした。

「ここにいる子たちは、確かにボール扱いは上手だけど考える力がない。」

「ある程度はできるんだけど、それ以上はやらない。」

「みんな規格内に収まってしまっていて規格外が出てこない。」

「サッカーが自分のものになっていないからつまらないよな。」

その通りだと思いながら、とても恥ずかしい気分でいっぱいでした。

よくよく考えてみると、学校でも「教えすぎ」だったということに気がつきます。

「教えなければいけないもの」と思い込んでいた節もあります。

とにかく教えることに必死。

これじゃあ、「クリエイティブな子ども」になりようがありません。

「子どもたちがやりたいこと」と「チームやクラスとしてやりたいこと」を一致させる。

「それぞれの選手にとってのサッカーがもっと大切にされていい。」

「チーム全体の約束事はあるにせよ、個々の思いを大切にすることも重要。」

なんて言葉が身にしみます。

グランドにはボールの数ほど思いがあって、それぞれの物語をもっと大切にしたい。

教室も同じですね。

まずは、「個」から始めてみよう。

PLAYERS FIRST!