苦しいから「教えること」を手放した。

みんなで学ぶから楽しい

黒板の前に立って授業をしていた頃は、何だか苛立っていました。

子どもたちが楽しそうじゃない。

板書していることをひたすら写して問題を解いたり課題について考えたり…

「こんなの簡単すぎてつまんない。」っていう子もいる。

はたまた「何だか全くわかんない。」っていう子もいる。

そんな中で平均的と思われる子どもたちに向けて当たり障りなく授業する。

「みんなちがってみんないい」と言いながら授業中はちがう。

「みんなそろってみんないい」みたいな感覚になってしまう。

「ボクが説明してから子どもたちと一緒に考えたら全員が同じように理解する。」

そんなふうに考えていたので上手くいかなければ苛立ったのです。

課題をクリアできない子は休み時間も返上し家に持ち帰って宿題になることも…

「ちゃんと授業しているんだから理解できないのは子どもたちのせいだ。」

そんな感覚で自分の至らなさをごまかしていたこともあります。

子どもたちだって本当は苦しかったのに…

苛立ち、悩み…

授業方略を考えていくけれど、いわゆる一斉講義型の授業だとカリスマ化するしかない。

でも、何だかこれには違和感があってボクはカリスマ教師を目指すのをやめました。

だって苦しいから…

「黒板の前に立って一方的な授業をするのはやめよう。」

と固く決意して子どもたちと共に楽しみながら学べる方法を考え始めます。

続く…