「自分と他者との繋がり」について考えることのできる良書です。
わかっちゃいるけど、文字にされるとガツーンとやられる感じがします。
学校の先生やスポーツ指導者はもちろんのこと、いろんな人に読んで欲しいって思います。
いくら親しい人間であっても、自分が知らないことがあるし、自分とは違う性質を持っているということに着目してみましょう。これを「異質性」 といいます。どんなに気の合う、信頼できる、心を許せる人間でも、やはり自分とは違う価値観や感じ方を持っている、「異質性を持った他者なのである」ということは、すべての人間関係を考えるときに、基本的な大前提となると私は考えます。
この部分、とても大切な視点だと思っています。
親しければ親しいほど「自分と同じように見えている。」なんて思いがちです。
実は、見えているものや感じているものが違っていることがあるのだけれど…
「自分と同じように感じてくれている。」ってことにして接してしまう。
ところが、それは大間違いだったなんてことがあるものです。
親友なら、親子なら、「自分の気持ちをすべてわかってくれるはずだ」「私たち、心は一つだよね」と考えてしまうほうが、下手をすると自分しか見えていない、他者の存在を無視した傲慢な考えである可能性もあるのです。
これもあるあるですよね。
「お前なら分かってくれるよな。」って気持ちになることありますから…
同じチームだったり、同じクラスだったりすると「心は一つ」ってなりがちです。
でも…
「共通のゴール」はあるけれど「心は一つ」とは限らない。
価値観が揃っていて、みんな同じだと思っていたら痛い目に遭いそうです。
相手を他者として意識するところから、本当の関係や親しさは生まれるものなのです。
そうだよなあ。
自分と同じように考えてしまうと「なんでお前はわかんねーんだよ!」みたいになる。
相手をリスペクトして理解しようとする気持ちがなかったらダメですね。
そんなこと、たくさん経験してきたような(汗)
価値観が百パーセント共有できるのだとしたら、それはもはや他者ではありません。
ホントにその通り…
価値観が全てピッタリなんてことがあったら気持ち悪いです。
価値観が合わないから「対話」が必要になります。
相手の話をよく聴くことが先だと思っていますが…
「人というものはどうせ 他者なのだから、百パーセント自分のことなんか理解してもらえっこない。それが当然なんだ」と思えばずっと楽になるでしょう。だから、そこは絶望の終着点なのではなくて希望 の出発点だというぐらい、発想の転換をしてしまえばいいのです。
ボクにはこの部分が、どういうわけか刺さります。
それでいいじゃんね。
他にも紹介したい部分はありますが、まあ読んでみてください。
面白いから!
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