だいぶ春めいてきましたね。
ということは、4月が近いということで更に加速度をあげねばですが…
ボク自身が大切にしていることは何かを確認するためにも読書は欠かせません。
サラッと読み流していた本を数日かけて熟読しました。
読んでいて何だか心地がいい。
長らく続いた狩猟採集時代から受け継がれている遺伝子。
我々はなぜ長い時間を走る能力があるのか?
農耕が始まって世界に何が起こったのか?
2013年にトレーニングを再開した頃から、同じような話を書籍で目にしてきました。
そんな狩猟採集時代の話も出てきて面白かった。
そして、何より大切なこと。
子どもたちは、熱烈な向学心を持ち、学ぶための並外れた能力を遺伝子にプログラムされて、この世界に誕生します。
そうそう…
3人のサッカーボーイズたちを育てて体感できたことを思い出しても納得。
「これなーに?」
ってひたすら質問していた頃があった。
子どもたちは興味を持ったら知りたくてたまらない生き物なんですよね。
そして、何かを見たらマネしたくなる。
サッカーボールを蹴る兄たちを見て自分もその気になってボールを追いかける3号。
例えばボールリフティング…
兄たちは小さな頃から毎日のようにボールを戯れているのでボールが地面に落ちない。
マネするけど、小さな3号はできない。
「できないー!」
なんて言っているところに兄たちがアドバイスしている。
「最初はワンバウンドありでいいよ。ボールをよく見て。すぐできるようになるよ。」
なんて言いながら毎日のようにボールと遊ぶ。
「あれ、どうやってやるんだろう?」
と好奇心の芽がニョキニョキと伸びてくる。
その内、10回くらいできるようになる。
「あ!10回できるようになったから見ててね!」
なんて楽しさを伝えようとする。
そうは言っても兄たちの足下にも及ばないので更にチャレンジは続く。
そこで繰り広げられていたのは完全なる「異年齢による遊びの世界」
家の前の道路がスタジアムになって、マンホールがゴールとか…
チーム名をつけたり、自分たちなりのルールをつくっては遊び続ける。
そうやって彼らは彼ら自身を教育したのだと育ったのだと思います。
ボクが父としてしたこと?
「ボールって楽しいよ!」
ってボールを転がして置いたくらいかなあ。
そして、ボク自身もサッカーやバレーボールを楽しんだ。
彼らには彼らのサッカーの物語があるわけだからね。
自らを教育するという、子どもが生まれながらにもっている本能を最適に機能させるための条件をどうすれば提供できるのか。
ボクらが考えるべきはそこであって…
子どもたちに何かを押しつけたり管理したりすることじゃない。
「子どもは未熟だから何かしら教えなければならない。」
そんなことを声高に主張する人たちもいるけれど、それは大人が管理しやすいからだよね。
その子の人生は、その子のものなんだってことを忘れないようにしたい。
教育の真の責任は、常に子ども自身にある。
子どもたちが自分の人生を自らの足で歩めるように…
一人ひとりの物語を大切にしながらサポートができるような環境を創りたい。