霜は降りていないし氷も張らないのに寒く感じた大日向の朝。
「ジョンレノン没後40年」なんて話がラジオから流れてきます。
あれから40年も経ったのだなと不思議な気分になりました。
当時、中学生だったボクらは命日になると友だちと「Imagine」を聴いた。
ジョンレノンとかポールマッカートニーはボクらにとっても憧れの存在でした。
洋楽を聴いているだけで世界へ飛び出している感覚がしていた頃でもあります。
でもね…
12月8日といえば、我が国にとっても大切な出来事があった日。
1941年のこの日は真珠湾攻撃が実行された日でもあるのです。
会津の祖父は海軍学校の教官として終戦を迎えています。
教え子たちが戦地で散っていく無念を子どもの頃から聞かされたものです。
終戦後に会社員となり、退職後は教え子たちの実家を訪ねて全国各地を回る。
本当に難しい立場にいたんだろうなって思うのです。
そんな祖父の影響もあってボクは教師という道を選びました。
それはさておき…
この大日向でも戦時色が強い時代がありました。
当時の大日向村では半分近くの人たちが満蒙開拓団として満州へ渡ります。
その時代の子どもたちは、この門から日の丸を振りながら羽黒下まで行進。
列車に揺られて日本海を渡り満州へ。
その事実は当時の国策映画でも「満蒙開拓団の先駆け」として紹介されます。
「はやく満州へ行って立派な大人になりたい」
当時の小学校5年生の作文には、こんなことが書かれています。
なんとも切ない歴史があった学校なのです。
だから学校名を「大日向」にすることに反対意見もありました。
「負の歴史だからさ」
そんなことを素直に伝えてくれる地元の方もいたのです。
でもボクらは、やっぱり「大日向」を使わせてもらいたかった。
だって、長らく地域の人たちが大切にしてきた地名なんですから…
その後、長い歴史を経て閉校となった学校を活用させてもらっているわけです。
そこは絶対に忘れてはいけないことだって思っています。
当時の皆さんから、今の学校はどう映るのでしょうか。
「今も、学校があるんだね」
「ボクらの学校なんだから大切にしてくれよな」
「いつまでも経っても心の故郷だよ」
そんなことを思ってくれたら素直に嬉しいなって思います。
おかげさまで100名を超える子どもたちが笑顔で通学しています。
今は大日向に住んでいる子たちばかりではありませんけれども…
この地域の人たちにも笑顔を届けられる学校でありたいと思っています。
これからも大切に使わせていただきますので、どうか見守っていてください。
大日向小学校長 桑原昌之