深夜0時前の秦野駅ホームは静かです。
ホームで列車を待つ人もまばらな地方の駅という感じがします。
35年ほど前、今は亡き友人と一緒に剣道場へ通うために乗降していた駅前は田舎そのものでした。
駅前にはリヤカーを引いた焼き芋売りのおじさんがいて、水無川沿いには小さな店がびっしりと並んでいました。
ちょっとしたワンダーランドを抜けて剣道場で稽古に励んでから帰ります。
帰る時には、決まって小田原寄りのホームに立っていました。
渋沢からやって来る列車を見るのが好きだったんでしょうね。
ここへ立つと、そんな少年時代へタイムスリップできるような気がします。
首都圏のあちらこちらで開発が進んだ昭和40年代後半。
私の家族も世田谷から大根へ引っ越してきました。
ここ秦野も、鶴巻や大根地区に住宅街ができ一気に人口流入が進んだ頃です。
週末はバスに乗って渋谷へお出かけする少年には、不思議な街でした。
大根駅(現在の東海大学前)の踏切を農耕用の牛が渡り、上り電車に乗るときには線路を渡る。
学校の校舎は木造で、中休みや昼休みには裏山まで平気に遊びに行ってしまう友達。
何ともいえない楽しい街。
「秦野で育ってよかったな。」
秦野駅に降り立つと、いつもそんなことを考えます。
この街に恩返しができる分野は、やはりスポーツと教育。
この街に感謝して日々、これからも暮らしていこうと思います。
亡き友のためにも…