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一斉授業をやめたら幸せになれる!

どこまで続く?一斉授業

どこまで続く?一斉授業

学校に行けば授業というものがあります。

ここ数年、「授業」という言葉に違和感を持ち続けています。

あ…

ボクの職業は小学校教諭です。

「ボク」なんて書いてますが「大」がつくほどベテランです(笑)

授業って何だろう?

授業(じゅぎょう)
ー学校などで学問・技術などを教え授けること。

ベテランになると若手の授業を観に行ったり、教室をのぞく機会が多くなります。

それなりにフィードバックをしてあげるのが大切な役割ですから…

今の若い先生たちは総じて優秀です。

きちんと指導案も書くことができるし、基本的な授業はちゃんとできます。

「ボクらの頃なんかよりも板書もしっかりとしているよね。」

なんて同世代の先生たちとよく話をしています。

とても一生懸命に授業をしている。

でも、子どもたちの姿をよく観察していると不思議なことが分かります。

以前のボクだったら当たり前の光景でもあり、当然の姿なのですが…

果たして、今の子どもたちに旧来から続くスタイルはフィットしているのか。

「わかる授業」を提供すれば学力がアップするなんてことあるのか。

甚だ疑問なのです。

「全てが同じ」という学びの姿

黒板の左上に「日付」と「学習のめあて」が示されます。

すると子どもたちは、ノートの左上に同じように「日付」と「学習のめあて」を記入。

算数であれば基本問題が示されます。

先生は問題文を黒板に書いていきます。

「今日は、こんな問題を考えていきたいと思います。」

「前にやったことを思い出して考えてみましょう。」

数分すると先生は子どもたちに尋ねます。

「やり方わかる人?」

子どもたちは低学年であれば元気よく手を挙げます。

そんな中から大抵は3名ほどの子どもたちを指名します。

「ボクは、こうやってこうするとこうなると思います。いいですか?」

「いいでーす!」

とか…

「私は、○○さんと少し違ってこうやってみました。いいですか?」

「いいでーす!」

なんてやりとりが行われ、基本事項を確認します。

その後、数問の練習問題を解いて先生に○をもらいに行列をつくる。

しばらくすると…

全ての子どもたちが理解していないにも関わらず、まとめに入ってしまいます。

「今日のめあては、○○でしたね。みなさん、わかりましたか?」

なんて感じで、サラリとまとめて授業が終わるのです。

どの教科でも、ほぼ同じような型で進めることが可能。

みんな同じように先生の話を聞いて、同じようにノートに書いておしまい。

以前のボクも、これでいいんだと信じて疑わなかったスタイルです。

授業前後の子どもたち

家庭でインターネットを活用したオンライン学習ができる時代です。

大手の通信教育会社の教材を活用している子どもたちもチラホラと見られます。

これから授業をする単元も既に学んでいることもあるのです。

一方で、全くもって白紙の状態の子もいます。

そんなバラバラな状況なのに、同じことを同じ時間に提供するのです。

レストランだったら、何も考えず出されたメニューをいただくようなものです。

もちろん、食べたいものだったらいいでしょう。

でも、さっき食べたばっかりだったり、前にも食べたものだったらどうでしょう。

「えー?もう食べたのに…」

と残念な気持ちになることでしょう。

ボクたち教師は、それぞれの子どもたちが全く違う状況だということを知っています。

なのに、目をつむって学問・技術などを教え授けることに懸命になるのです。

授業を終えた子たちはどうでしょうか。

「そんなの分かってるのに、つまらなかった。」

「なんとか終わったから良かった。」

「あー、終わらないから居残りだよ。」

いろんな子がいるはずです。

ボクらは、予定通り授業が終わったからホッとして職員室へ帰ります。

でも、本当にこれでよかったのでしょうか。

さよなら!一斉授業

「授業」という言葉に違和感を持ち続けていた末に辿り着いたこと。

それは、一斉授業をやめてしまうことでした。

そう、教えない先生になったのです。

正確に伝えると問題の解き方を教えなくなりました。

知識を与えるのではなく、学び方を教えるのです。

教えないので黒板の前に立って話し続けるなんてことはありません。

みんなで解き方について一緒に考えるような時間や確認事項の説明の時だけです。

一斉授業をやめたら、子どもたちの姿をより深く観察できるようになりました。

教えないので、状況を把握する余裕が生まれるのです。

「○○さんは、こういうところに引っかかるんだなあ。」

「○○くんは、こんなふうに取り組んでいるなあ。」

とてもよく見えるようになります。

では、肝心の子どもたちの姿はというと…

みんなそれぞれが自分の課題に取り組んでいます。

「これよくわかんないなあ。○○くん、教えてー」

「あ、前に面積やったじゃん。三角形の面積ってどうだったっけ?」

「えーっと、底辺×高さ÷2だったよな。」

「そうそう、底面積×高さで体積が求められるんだからだ?」

「あー!これに高さをかければいいのかあ。」

「そうそう!そういうこと!」

「サンキュー!」

なんてことが教室のあちらこちらで起こります。

「学び合い」とか「協同的な学び」と言われるような状況になるのです。

もちろん、これだけでいいとは思いませんが…

授業を終えた子たちはどうでしょうか。

「そんなの分かってるのに、つまらなかった。」→「説明ができて満足。」

「なんとか終わったから良かった。」→「友だちと一緒ならどんどん進む。」

「あー、終わらないから居残りだよ。」→「さてと遊びに行こう!」

なんてことになっています。

終わったあとは、みんなに楽しかったという感情が残るのです。

変わる学びの姿と子どもたち

時代の変化に合わせて学び方も確実に変化しています。

「みんな一緒」という幻想から、「みんなちがう」という現実を直視したいものです。

それぞれの子どもたちには得意分野と不得意分野があることが分かります。

自分で選んだ課題を、自らの手で解決していくことができる楽しさを知ることもできます。

一人では難しいことも、みんなでやれば何とかなることも体感します。

お互いの距離が縮まれば、さらに相互理解が進むこと。

子どもたち自身の「やってみたい」が尊重されるので責任感も生まれます。

そして、先生たちが頭を悩ませる学級経営も劇的に変化します。

対話にあふれる子どもたちは、自然に仲良くなっていくのです。

トラブルも自分たちで何とかできるようになります。

「自由の相互承認」がある教室に近づくことも可能でしょう。

そろそろ初任者研修など若手の研究授業も見直した方が良さそうです。

そして、ベテランは自分たちの授業というものもゼロから見直してみるといいです。

学校は、「授業を受ける空間」から「自ら学ぶ空間」にシフトしなければなりません。

子どもたち一人ひとりにとっての教室空間、学びの時間をデザインしましょう。

そして、一人ではなくクラスの仲間と学び合う教室であることも大切です。

「一斉授業をやめたら幸せになれる!」

というのが長年の実践を通しての現在の最適解です。

まだまだ精進が必要ですが、信じて突き進みます。

Good Luck.