放射冷却の影響もあって今シーズン最も寒い朝となった丹沢・大山の麓。
そして見事な快晴、本格的な冬の到来を思わせる一日。
少しずつですが弘法山の麓も冬仕様となってきました。
散歩中に3つに枝分かれしている樹木を発見。
生え際を見つめて、少しずつ上の方に目をやると、それぞれにしっかりと大きくなっている。
目視なので正確には分かりませんが樹高は15mから20mでしょうか。
同じ根っこからでも全く同じようには生長しないのが何とも面白い。
自然界の中では全くもって同じサイズ、寸分も違わないものはありません。
ボクら人間も自然界の一部ですから同様に唯一無二の存在です。
だから一人ひとりは全く違うし親であっても子どもとは一緒なんてことはないのです。
ご先祖様の遺伝子をリレーしているとはいえ様々な特徴が掛け算されている。
誰かと似た特徴を持っているしても自分と同じなんてことはないのです。
「普通はできるでしょ!」「そんなこともできないの?」「お前バカだろ!」
そんなふうに言ってしまったり言われたりする経験は誰しもがあるでしょう。
でも…
その子はその子であって大人が解釈する「普通」という名の下で操ってはいけません。
「○歳までに□□をさせよう!」「○○で□□大学に合格!」「○○でセレクション突破!」
なんていうような情報を鵜呑みしても、それは成功したかにみえる人の単なる経験談です。
参考程度にして子育てや教育に関わってくれたらいいと思っています。
人間というものは欲深いもので、自分がなし得なかった夢を他者に投影して満足したがる。
「うちの子、プロスポーツ選手になりたいと言っています」
「うちの子、○○大学に進んで□□になりたいって言っています」
「うちの子、アイドルになりたいって言っています」
という大人たちの中には、まるで自分が子どもに乗り移ったかのような人もいる。
果たして子どもたちの胸のうちはどうでしょう?
「こうすれば親が喜ぶから…」「こうすれば先生が喜ぶから…」
なんてことになっていないでしょうか。
この樹木を見上げる時のように見えている部分だけを見ていないでしょうか。
「根っこは、どれくらい伸びていますか?」
「太く大きな根っこは何本ありますか?」
「その根っこは、その先に落ちた一滴の水を吸うような力強さを持っていますか?」
大人の都合で…
自分が安心したり満足したり…
そんなことのために目の前の子どもたちがいるわけではありません。
「いやいや、子どもたちは楽しそうですし満足もしています」
という見えているところだけで判断していませんか。
「その笑顔は本物ですか?」「心から子どもたちは楽しんでいますか?」
そんなことを問いながら常に接する必要があるのではないでしょうか。
子どもたちはトライアンドエラーの天才です。
本心から自らやってみたいことを見つけたときには目がキラキラとしています。
本心は根っこのようなもので太く大きく細かなものまで無限に伸びるような環境が大切。
子どもたちと関わる時に最も大切にしたいことは…
「見えているところだけで安易に判断せず、見えていない部分を多層的に想像すること」です。
「これでいいのかな?」「ホントのところは?」「こっちに合わせてないかな?」
そんな心構えを持ちながら子どもたちと接したいものです。
自戒を込めて。