この二日間、多くの教育関係者の皆さんと対話をさせていだきました。
それこそ、住んでいる地域も違えば年齢層も違う。
生きてきた世界も違うし、人それぞれに面白い視点を持っている。
それぞれの現場で苦悩していることも垣間見えてきて、事態は深刻だと思うことも…
まず、最初にお断りしておきます。
「日本の先生たちは優秀である」
もちろん全員とは言いません。
先生たちは、それなりに一所懸命になって勉強しているわけです。
「分かりやすい授業にするための方略は?」
と常に自問自答。
課題の提示方法だったり、板書の仕方だったり、あれこれと工夫するのです。
そして…
教室の子どもたちが楽しく過ごせるようになるためには?
子どもたち同士のコミュニケーションを高める方法なども考えています。
とにかく子どもたちのことを考えて日夜奮闘しているのが先生たちです。
ところが…
残念なことに、そんな先生たちのポテンシャルを制止してしまうことがあるようです。
全員が同じようにできる「型」
板書の基礎基本とか、授業の流し方とか…
伝統的な手法があるわけです。
たしかに新採用がいても、どんなベテランでも同じようにできるのは素晴らしい仕組みです。
それはそれで初期段階ではいいと思いますし、基本的な授業スタイルを踏襲するにはOKです。
しかし、そのスタイルに縛られると衰退します。
子どもたちは先生たちの意図を汲んで発言するでしょう。
まったく理解できない子はステージに上がることさえできないでしょう。
そして、先生たちは慢心して流すだけになるでしょう。
そのやり方なら安心で、その方法にフィットしない子は排除するなんてことにもなるのです。
「先生たちがやりやすいようにではなく、子どもたちにとって一番いいものは何か?」
徹底的に追求しないといけません。
「学び合い」だって気をつけなければなりません。
子どもたちは、「学び合い」ができる姿を教師の意図通りに見せる。
そんなことがあっては息がつまりますよね。
とにもかくにも…
「一つの教育スタイルに縛られない」ことです。