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もうすぐ故郷を離れて70年

雪国から多くの人たちが東京を目指した。

父の実家は新潟県中魚沼郡津南町にある。

戦前生まれの父は84歳、早生まれなので85歳になる学年だ。

70年前の今頃は中学校の3年生、ちょっと真面目になり始めた頃らしい。

かなりやんちゃだったという話を親戚からも本人からも聞く。

「信濃川を挟んで外丸の連中とよくケンカをしていた」

もともと知り合いの多い集落なので面は割れている。

「お前は元気だのう」

と大人たちに笑われていたらしい。

なんでも双方でスコップだのなんだのを武器にしていたというのだから驚きだ。

そんな子どもたちを大人たちは上手に見守っていたそうだ。

ところが中1の時に祖父が亡くなった。

冬の間は秋山郷の奥にある切明の発電所で働いていた祖父。

51歳という若さだった。

姉が5人いて6番目に誕生した父は長男である。

そんなこともあって発電所に勤務する希望を抱いて電力会社の養成所へ進学を決めた。

15の春…

多くの親戚たちに見送られて越後外丸駅(現在の津南駅)から飯山線、上越線を乗り継いで東京へ。

まさか後に発電所勤務が叶わないなんて思いもよらなかったらしい。

それでも7番目に生まれた弟である叔父が跡継ぎになってくれた。

町で有名な工務所に勤務しながら田畑や実家を守ってくれた叔父は父と瓜二つ。

今年になって90代になった姉さんたちが二人も天に召されて今回の帰省である。

信濃川を越えて山を上がっていくと津南が一望できる。

「あの道を通って学校に通ったんだよ」

「家の裏から信濃川に吊り橋があってさ」

「あれは○○の家だな」

なんて嬉しそうに話す。

毎年のように帰って来ていたけれど70年もすれば町の変化は大きい。

「道は良くなったけれども雪が降るからなあ」

「田んぼを続けるにも高齢化もあって大変だ」

「いつもあの食堂で食べていたんだけど、もうやってないね」

ちょっぴり寂しそうな話もする。

それでもやっぱり津南にいると落ち着くようだ。

「やっぱり津南はいいよねえ」

と何度も何度も口にする。

父と同じように東京へ出て行った同級生も多くいた。

高度経済成長期を支えてきた皆さんに感謝しないといけない。

そして、改めて地域コミュニティの大切さを再認識。

もうすぐ故郷から離れて70年の父を通して様々な気づきをいただいた。

ありがとうございます。

桑原 昌之

くわさん✨️
スポーツと教育の現場に関わる教育研究家。
秦野市議会議員としても笑顔で活動中!
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