✨️Challenge Respect Smile✨️

ホームグランドだった児童公園の今

ホームグランドだった公園の今

ホームグランドだった公園の今

暑い日とはいえ誰もいない児童公園をパシャリ。

ここはボクが小さな頃から遊んでいた場所です。

50年ほど前、新宿から約1時間の小田急沿線の駅近くに住宅地の真ん中。

昭和49年(1974)当時は18軒しかなかった住宅も今では200軒を超えています。

でも…

当時の建築主であった両親たちの世代は80代。

既に空き家になっていたり、他の人に買われて新しい家になっていたり…

そして子どもの数も大幅に減少している。

ボクらが小学生の頃はプロ野球が人気でした。

プラスチックバットとカラーボールで暗くなるまで遊ぶというのが定番。

レフト側にホームランを打つとボールは隣家に入る。

「すいませーん!ボール取らせてくださーい」

なんて言いながら庭先にお邪魔する。

センター側だと平屋の屋根にボールが当たる。

手前だと公園側にボールは落ちてくるけど、向こう側だと川へ落ちる。

ライト側でも簡単にアパートの屋根を越えてボールは川へ落ちる。

川に落ちたボールはハシゴを運んで川辺に降ろして拾う(笑)

その後はサッカーが盛んになってボールを毎日のように蹴っていた。

まあ、とにかくよく遊びました。

ところが、今は子どもたちの姿は見る機会が少ないのです。

ベンチには人生の先輩たちが座っていたりすることもある。

それもそのはずで、小学校のクラス数だって大幅に減っている。

おまけにゲームもあって室内遊びも流行している。

忙しくなっている小学生たちには遊ぶゆとりがないとも言われます。

本当にこれでいいのだろうか?

好きなだけ遊ぶことで得られることって多いと思うのだけれど…

身体を思い切り動かしたり異年齢で遊ぶって事は大切なんだけどね。

なんだか残念な光景だなって思うのです。

意図して遊び場を作らなければいけない時代。

ボクらはどうすればいいのだろうか?

そんなことを考えると共に、ここから10年で起こる人口減少に心配もつきません。

両親たち団塊の世代が少しずつ減っている。

これが一気にやって来るのです。

盛況だった公園の姿をノスタルジックに眺めながら、あれこれと考えるのでした。

次の世代にボクらは何を遺せるのだろうか…

桑原 昌之

くわさん✨️
スポーツと教育の現場に関わる教育研究家。
秦野市議会議員としても笑顔で活動中!
■詳しいプロフィールはこちら

\SNSをフォローする/
暮らし
\この記事をSNSでシェアする/
\SNSをフォローする/