【著書】「どの子も輝く教室のつくりかた」(明治図書)

一人ひとりが輝く共同体を創ろう!

ひとつの花から多様性を見つけられるか。

何だかすっかり秋の空気となって「そろそろ暖房が必要?」と思うような朝。

でも、ちょっとヒンヤリとした空気の中で飲む珈琲は最高なんですよね。

さて…

ここのところ「多様性」について再考中。

そんな中で2年前に書いた記事を読み返したので少し加筆修正をしておきます。

今日の花は小諸駅前で目にとまった花です。

残念なことに未だに名前が分かりません(笑)

遠くから見ると一つの花ですが、近くで見ると小さな花が集まっていることが分かります。

こんな花を見るたびに考えることがあります。

そこにビッシリと集まっている小さな花たちは一つひとつ違う。

この球体の花を「学校」や「クラス」に置き換えます。

「○○小学校の児童像」や「○年○組の児童像」がある。

その「児童像」なるものにそぐわない行動をすると叱られる。

その子のもつ能力や個性はスルーされて…

「○○小学校の子なんだから!」とか「○年○組の子なんだから!」

と言われて「やりなさい!」って言われてしまう。

決められた通りにやっていればいいのだけれど、個人の意志や能力は尊重されにくい。

それって子どもたちにとっては辛いことなんじゃないかなあと思うのです。

ボク自身、イメージ像に縛られすぎていた時代があります。

「チャレンジ」「リスペクト」「スマイル」を毎年のように掲げていた。

でもね…

「いつもチャレンジすることが素晴らしいってことになると苦しいよ。」

「いつもリスペクトがないといけないってことになると苦しいよ。」

「いつもスマイルが必要っていうと、やっぱり苦しいよ。」

「強制みたいになるのはダメだよ!」って子どもたちが教えてくれました。

ホントにそうなんですよね。

だって、その日の気分とかもある。

子どもたちだっていろいろあるんです。

「ちゃんとやらなきゃいけない」ってことは分かっています。

でも、苦手だったり嫌いだったり、気分がイマイチだったり…

いろいろとあるじゃないですか。

先生たちも同じですよね。

「○○小学校の先生らしく」とか言われると辛いことってありませんか。

みんなが同じように授業を提供しなくちゃいけない。

そんなプレッシャーに晒されて、自分らしさを出せないままに教壇に立つ。

それってホント辛いよね。

「子どもたち」「先生たち」って言うけれど、みんなそれぞれ違う人です。

とても個性的な人たちが学校には集まっている。

そんな子どもたち一人ひとりにとって、教室はどうあるべきなのか。

そんな先生たち一人ひとりにとって、学校はどうあるべきなのか。

一人ひとりの潜在能力がもっと発揮されるといいなあ。

「やってみたいことにチャレンジできる。」

子どもたちや先生たちの内面から沸き立つモチベーションは大切にしたいですよね。

「まずは、やってみよう!」ってならないと、小さな花も元気よく咲けないでしょ。

小さな花たちが一つひとつ元気に咲いて、それが見事な球体の花となる。

一人ひとりが輝いて、それが素敵な共同体に成長する。

そういう世界をみんなで創ろう!

タイトルとURLをコピーしました