ここ数日、「自分のアタマで考える」ことについて思いをめぐらしているところです。
研究者・勝負師・芸術家 – Chikirinの日記 for DUを読んでいて、なるほどなあと思ったところは
どんな世界でもトッププレーヤーになるには、
・研究者 = 過去のすべての打ち手などを知識として学び、研究し尽くす
・勝負師 = そのうえで勝つための大胆な決断が必要
・芸術家 = さらに「説明できないけど、すげえ。感動する!」ってものがないとダメ
というところなんですが、
みんなたまには、あたしの本も買ってくれる?
とあったので、ちょうどいいタイミングなので本棚から下ろして再読しました。
ちきりん @InsideCHIKIRINさんは、「考えること」について最後にこうまとめてくれています。
いったん「知識」を分離すること!
「意思決定のプロセス」を決めること!
「なぜ?」「だからなんなの?」と問うこと!
あらゆる可能性を探ること!
縦と横に並べて比較してみること!
判断基準の取捨選択をすること!
レベルをごっちゃにしないこと!
自分独自の「フィルター」を見つけること!
データはとことん追いかけること!
視覚化で思考を深化させること!
知識は「思考の棚」に整理すること!
特に、やっていることに関して「なぜやるのか?」「だからなんなのか?」って問うことは大切ですね。
マニュアルに書いてあるからとか、「普通は…」(←こういう人いますよね)とか、たいして理由がないのにやっている。
これは単なる「作業」だよなあと思うのです。
「なぜ?」「だからなんなの?」プラス「「これをやるとどうなるの?」なんてのも意識したいと思います。
もうひとつ、わかっちゃいるけど、さらに「なるほど納得!」と思ったところは、
レベルをごっちゃにせず、判断基準を明確にして比較してみること
これ、よく議論でも起こります。
そもそもレベルがごちゃごちゃで、判断基準が明確ではないので、どんどんずれていく。
最後は、なんか決まったみたいだけど「?」を持ち帰ってしまうというような状況です。
1対1のコミュニケーションでも同じですよね。
そもそも生きている時間や空間は、人それぞれなので、持っているフィルターが全然ちがうわけです。
同じようなものを同じように見るなんていうのは、結構、至難の業だったりするものです。
でも、レベルや判断基準をあわせようとすることで、「相手にはどう見えているのか?」ということも考えつつその時点での最適解を見つけていくことが可能になりますね。
個人的にグッと来た一節はこちら…
時代が変わり、世の中が変わり、新しい現象が出てきて新しい情報に触れたとき、過去の知識ではなく、目の前の情報から考えることができることができるかどうか。それが「考えることができる人」とできない人の分岐点です。もしくは「時代の変化に気がつく人」と気がつかない人の違いともいえます。
もっと「考えることができる人」になりたーい!
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