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「共に食べる」ということ

「共食」の社会史

「共食」の社会史

会津生まれが関係しているのかどうかは不明だが「歴史」は好きだ。

といっても「世界史」への興味関心は薄い。

子どもの頃から郷土史に関わる本がゴロゴロと転がっていた。

祖父から手渡された本も会津の歴史に関わる本だったもんな。

そんなこともあって「日本史」が好きなのだ。

先日、新聞のコラムで紹介されていたのがこれ。

「共食」の社会史
日本人は「共食」を通じて、どんな社会関係を築いてきたか 同じ時に、同じ場所で、同じものを食べる「共食」――それは、人類固有の文化と言っても過言ではない。神との食、死者を祀る食、労働(農耕、収穫)とともにあった食、法と契約や身分秩序の確認のた...

面白そうなのでポチッとしたが高い(笑)

でもね…

読み応えもあるし興味深い内容。

日本の歴史と合わせて考えながら読み進めることができる。

冒頭にこんなくだりがある。

長田弘の『食卓一期一会』は、私の好きな詩集の一つである、その「あとがき」は次のような一文で始まる。

食卓は、ひとが一期一会を共にする場。そういうおもいが、いつもずっと胸にある。食卓につくことは、じぶんの人生の席につくこと。ひとがじぶんの日日にもつ人生のテーブルが、食卓だ。かんがえてみれば、人生はつまるところ、誰と食卓を共にするかということではないだろうか。

そうだなあ。

本当にいろんな人たちと食事を共にしてきた。

家族だったり、友人だったり、部活の仲間だったり、仕事仲間だったり…

それはそれで人生そのものだよね。

終章に、こんな一節がある。

もともと大地へ向かっての生産活動には、個としては脆弱な人間が、得手の伝統的な集団として取り組むことを必要としてきたが、精神労働や機械を相手とする労働の担い手は、いわば集められた個であり、近代に入っての集団の質は大きく変化した。大地を相手とする狩猟や遊牧あるいは農耕や漁撈の民は、血縁や地縁を基本とする集団であったが、都市で事務作業や機械による生産を行う人々は、いわば機縁による出会いによって編成されただけの集団だったのである。こうして近代に共同体の崩壊という現象が始まった。

そんな時代にボクらは生きているんだよね。

ボクは近代に生きているので、それ以前のような形では食卓を囲んではいないのかも。

そう考えると「共同体」をつくるってのは本当に難しいことだって理解もできる。

「地域を大切にする」

って簡単に言うけれど、長らくそこで暮らしてきた人たちの知恵にはかなわないし。

郷土に伝わる食について学ぶ必要があるな。

「共に食べる」

ってことは楽しいこともあれば、権力者に利用されることもあるから要注意。

「同じ釜の飯を食う」

というのも、良いこともあれば、そうじゃないこともあるんだよなあ。

食べることは命に関わることだから、もっと深く考えていかないとね。

桑原 昌之

くわさん✨️
スポーツと教育の現場に関わる教育研究家。
秦野市議会議員としても笑顔で活動中!
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