6月になりました。 新学期がスタートして2ヶ月が過ぎ、夏休みに向けて1学期も後半へ。
子どもたち一人ひとりを見つめながら毎日を過ごしているところです。
学校事情もあって当初予定されていた学年での交換授業もなく…
音楽と図工以外は全て授業をすることになった今年度。
これ幸いと「学びの個別化と協働化」にチャレンジ中です。
以前、公立にいた頃にはできなかった国・算を中心としたブロックアワーでしたが…
今年度は、国・算・理・社の4教科でも可能な状況です。
とはいえ、いきなりは難しいので国語と算数を中心に徐々に進めています。
そんな中で「学びの個別化」の難しさにも直面。
まず、そもそも学ぶメカニズムが違う子どもたちがいる。
こちらが同じように話しても同じように理解するなんてことはあり得ません。
本来の子どもたちっていろんなものに興味関心がある。
さまざまなセンサーが働いているので教室中のいろんなことが気になります。
青空や田畑、丹沢・大山が見えることもあって、そちらに関心が引っ張られることもある。
そんなこともある程度は許容しつつ、自分のペースで学んでいきます。
ひとりで黙々と進める子もいれば、友だちと話しながら進める子もいる。
いろんなシーンが繰り広げられるですが、当然のことながら進度にも差が出ます。
単元や学習内容をクリアするには、ある程度の期限もあります。
早く終わる子もいれば、ゆっくりな子もいるのが当然の姿なのですが…
「進みすぎてはいけない」とか「遅いのはよくない」なんて大人の論理が厄介です。
ここを乗り越えられるかが勝負です。
「あんまり差が開くと子どもたち同士がギクシャクしませんか?」 なんて意見もあるでしょう。
たしかにそんなことを心配した時代もありました。
でも… それって「みんな同じがいい」ってマインドから来ているものではないでしょうか。
同じように授業して「できる子」と「できない子」をつくるのも大人の理屈。
たったひとつの場面で子どもたちを評価するから窮屈になる。
一つの指標で比べてしまうから学校がつまらなくなる。
まだまだ学校は「学びの個別化」へ大きく舵を切ることができないでいます。
それを阻む最大の原因は「みんな同じが安心だ」という大人たちの論理なのでしょう。
でもね… 子どもたちには一人ひとり、ちゃんと得意なことや好きなことがある。
そこにフォーカスしてあげることも大人の大切な役目です。
だから、それぞれのペースで学んでいけばいいんです。
一気に変えるには時間がかかりそうですが、どこがでブワーッとひっくり返る時を待つ。
そのためにもジワリジワリと、そして丁寧に子どもたちを歩もうと思います。
チャレンジは続く…