丹沢・大山の麓は雨がパラパラと降る月曜日。
田んぼの向こうに見える大山も見えません。
いつも大山の山頂ばかりを眺めているけれど…
その先の景色もあるんだよなあ。
今日は、1時間目から4時間目までブロックアワー。
これまでの最長は3時間、それも午前2コマ、午後1コマでしたけれども…
正直、どう転ぶのか分からないけどチャレンジです。
いろんな状況を見ることができるだろうと思っていましたが予想外のことも…
期待はしていたけれど、まさかの集中力というか…
「くわまん、いなくても大丈夫だから」
って早々に言われそうな要素が垣間見えた4コマでした。
「ん?ちょっと待てよ?まあ、ゴールはここかな?」
って勝手に子どもたちのゴールを設定していなかったのだろうかと猛省。
ひょっとすると、彼らはとんでもないところまで飛んでいくのでないだろうか。
そんなふうに思わせてくれた月曜日でした。
こんなフィードバックをもらい掲載許可もいただいたのであげておきます。
感謝&日々是精進。
実際に子ども達の姿をみることができてよかった。
くわさんがブログでも度々あげている「スマイル」「チャレンジ」「リスペクト」。教室にも掲示があり、この順番に上からかかれている。つまり一番下にあるのが「リスペクト」なのだ。しかし、実のところ、私はこの「リスペクト」についての実感がいまいちつかめないでいた。今回子ども達の姿を見て、その「リスペクト」をいたるところで感じることぎできた。
「子ども達のリズム」
個々のそれぞれのリズムとともに、クラス全体のリズムもある。ここまで子どもたちのリズムを感じられるのかと思うくらい不思議と感じた。(これはけっこう衝撃!!)
いろいろ要因はあると思うけれど、大きいのは先生や友達がリズムを邪魔しないからだなと思う。ついついいろいろ口出ししたくなる。そうしないのは、くわさん自身が子ども達に対して「リスペクト」をもっているからに他ならない。自分で進む力をもっている。いずれ進み出すと。なので、くわさんはガイドはするけど、無理矢理連れて行くことはしない。ある子にはどこまで進みたい?と声をかけ、ある子には選択肢を示しどれがいいかな?と声をかける。あくまで決めるは自分。友達が邪魔しないというのも大きい。先生は自分か意識すればよいけれど、子どもの場合はそうはいかない。「リスペクト」ということが子どもにも染み渡っているんだなと感じた。
今日は1〜4時間目がイエナプランでいうところのブロックアワーで国語と算数の学習の時間だった。当然ずっと集中していられるわけはなく、だれることもある。そんな姿に出会ったとき、どうするか。僕はついつい気になって口出ししちゃうんだよな、、、。という反省も感じつつ。
「静かにでも確実に進む子どもたち」
「よし!今日はこれやってやるぞ!」みたいな、ものすごい熱量があるわけではない。でもそれぞれが自分の学習を進めている。その原動力となっているのは何かなと思った。
一つは繋がりがあることの安心感だろう。もちろん子どもがやりたくなるような、意欲をもてるような授業の導入は大切だ。でも、そもそも勉強してできるようになる実感があれば、友達とつながって分かるようになる実感があれば、子ども達は進んでいけるんだなと感じた。
「ゆるやかなつながり」
子ども達は授業中自由に動けるんだけど、やたら友達に関わりにいくことはせず、でも必要なときは関わる。おしゃべりに花が咲くこともあるが声のトーンは静か。これも「リスペクト」だそうだ。相手の状況をよくみて、「リスペクト」をもって関わる。
「リスペクト」
子ども達の姿から感じることができたのはよいが、じゃあそれを教室で自分が子ども達とどうつくっていくか。
明日から教室もその視点でみてみようかと思う。
from 横須賀市公立小学校教諭(とりむー)