今日も酷暑となった丹沢・大山の麓。
こんなに暑かったら子どもたちだって外で遊ぼうなんて思いませんよね。
それでも自転車で走り回る強者たちはいましたが…
熱中症にも厳重警戒です。
「夏休みは子どもたちの好奇心を育むチャンス」
なんて言われます。
そんなわけで子どもたちに多くの体験をさせたいと願う大人も多い。
いろんなものに興味をもってすくすくと成長してほしいですものね。
ところで「好奇心」って育むものなのか。
ちょっと疑問なのです。
以前、こんな記事を書きました。
融けた雪を握っては投げる、踏みつぶす。
かと思えば植え込みの匂いをかいでいる。
そうやって遊んでいる小さな子どもを見ながら好奇心について考えさせられました。
「子どもたちは、熱烈な向学心を持ち、学ぶための並外れた能力を遺伝子にプログラムされて、この世界に誕生します。」
まさに、そんな場面を見せられたことがあるのです。
子どもたちは自由な遊びの時間で飽きるまで動き続ける。
「好奇心を育む」っていうけれど「好奇心を見守る」という姿勢でよさそうです。
「もともと好奇心は持っている」と小さな子どもたちは教えてくれます。
「あれなんだ?」
なんて言っては、見つけたものへ駆け寄って触ってみたり踏みつけてみたり。
ホントによく動き回る。
「何をしているのか?」だけではなく「今、何を感じているのか?」
そんなことも気にしながら行動を共にする。
とはいえ、どうしても大人が余計なことをしちゃうんですよね。
子育て中のボクもそうでした。
「もっと余裕を持って我が家のサッカーボーイズたちも見られたらよかったなあ。」
もう大きくなってしまった彼らとも散歩したことを思い出しながら考えます。
「今、何を感じているのか?」ってことに心を馳せる余裕はなかったかも。
「何をしているのか?」にばかり興味関心があったような気がします。
好奇心旺盛に育つには、この時期の関わり方って超重要なのに。
安易に答えを教えない。
「なんだろうね?」って考えさせるようなことを言うこともポイントです。
子どもたちの好奇心を育む場を用意しなければと必死になっちゃう。
ところが…
そんなふうに感じるのは大人だけなのかもしれません。
子どもたちは、ボクら大人が感じているほど心配していないのかも…
なんて思っちゃいます。
「われわれはうちゅうじんだ」
ってやったことがある人、いますよね?
「なんで?」とか考えずに、ただただ面白いからやる。
「不思議だよね?」なんて、きっと思っていない。
それでいいんじゃない?
ついついボクら大人は、何かと学びとか探究に繋げたがるのだけれど…
子どもたちにとっては、余計なお世話なのかもしれない。
大人があれこれと用意しちゃうのってやめたほうがいいかも。
遊びがなんとなく決まっているようなプレイパークとかスポーツとか。
あんまり用意しすぎると、決まり切ったことしかしなくなる。
だから、あんまりごちゃごちゃ言わないし、用意しすぎない。
そんな姿勢で場作りをすればいいんじゃないかなあ。