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生きるために若者は都会へ

生きるために若者たちは旅立っていった。

朝晩は秋らしい一日となった10月の終わり。

今日も15の春に雪国から東京へと向かった父のこれまでを振り返る。

津南を出て70年を迎えようとしている。

帰省するにも一苦労という年齢になった。

改めて戦後の暮らしぶりについて話を聞くこともある。

雪国の父ちゃんたちは冬になると出稼ぎに行った時代だ。

高度経済成長期には東京の建設現場や工場などに勤務する人たちも多くいた。

そして兄弟姉妹が多い時代でもある。

5人の姉たちは嫁に行き、父と弟である叔父は仕事を探す。

地元に就職口が見つかれば良いが多くは集団就職で東京へと向かう。

祖父が亡くなったこともあり、父は東京へと向かうことになった。

故郷で暮らせたら良かったのかもしれない。

でも…

仕事がない。

ほとんどの若者たちは東京へ向かうしかなかったのだ。

やがて…

埼玉、千葉、神奈川など周辺地域へと地方出身の若者たちは広がっていく。

あちらこちらで県人会なども結成されて故郷の繋がりを大切にしてきた。

そんな大人たちに囲まれてボクらウルトラマン世代は育てられたのだ。

いろいろ辛いこともあったけれど、経済は右肩上がりで裕福になった気がした時代でもある。

社宅から一軒家へと引っ越したり、自動車に乗るようになったり、テレビが大きくなったり…

スーパーには余るほどの食品が並ぶようになった。

本当にいい時代だったと思うのだが…

今になって良いことばかりではなかったんだと気づかされることも多い。

スキーリゾートで喜んで遊んでいたけれど、そこには農業問題と自然破壊が絡んでいることを知る。

日本列島改造論によって交通網の整備が進んだことで便利になった。

もちろん、角栄さんは尊敬する政治家だけれども失ったこともあると思っている。

全国どこへ行っても同じような店ができて恩恵を受けた。

でも…

気がつけば地域を支えてきた小さな商店は消えてしまった。

地方にできた工場が撤退してしまったなんてこともある。

地元で働けるメリットもあるはずなのに働く場所がないのだ。

そして、やっぱり…

若者は都会へ出て行く。

生きるために…

そんな世界を変えたいなって思う10月の最終日。

今月もありがとうございました。

桑原 昌之

くわさん✨️
スポーツと教育の現場に関わる教育研究家。
秦野市議会議員としても笑顔で活動中!
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