衝撃的な映像が会津若松市役所から…
ボクは昭和42年2月、丙午学年の早生まれです。
物心ついた頃には分からない会津の映像が映し出されています。
戦後の影響も色濃くある会津工業高校近くの団地の話…
市の中心部から南側にある今は現存しない集落にあった分校の話…
こんな感じで暮らしていた人々の映像を見ながら、同じ時代の東京の光景に思いを馳せるのです。
当時、五輪へ向けて東京は高速道路を始めインフレが整備されていた時代です。
加山雄三さんの若大将シリーズを観れば東京の光景がわかります。
随分とオシャレな感じで描かれています。
この市民ニュースも同じ時期なんです。
ボクが子どもの頃に初めて記憶した総理大臣は田中角栄さんです。
父も新潟生まれ…
高速道路が整備され新幹線も通るという光景を目の当たりにしてきました。
正直、どうして角栄さんが列島改造論を唱えたのかはよく分かりませんでした。
東京、神奈川育ちのボクには理解ができなかったのです。
でも、この映像を見て少し理解できました。
そういえば新潟も道路は整備されていなかったし行くのにも不便。
親戚は出稼ぎに来ていたし…
ここに出てくる子どもたち、いったいどんな感性を持っていたのだろう?
そしてボクが子どもの頃に見てきた時代って何だったんだろう。
いろんなことを考えさせられる映像です。
生まれてから50年…
ボクが見てきた世界とは違う。
何ともいえない気分になりました。
いろんな時代の人々の思いを理解したい気分です。
それにしてもビックリでした。