不思議な夢を見て目覚めたバレンタインの朝。
誰だか知らない素敵なインストラクターに導かれてスカイダイビングのように飛ぶ。
何ともアクロバチックに高い所から地上にソフトランディングという夢…
今までも見たこともない光景でしたが、何だかホッとして目覚めることになりました。
きっと、そんな願望があるのでしょうね。
「こうあるべき」よりも「こうしたい」ってのが主体的に生きるために重要ですよね。
今日は、そんな話を書いておこうと思います。
組織の在り方を示す「ビジョン」
「○○ビジョン」というような組織の目指すべき姿が掲げられていることがあります。
TOYOTA「モノづくりを通じて、豊かな社会づくりに貢献する。」
湘南ベルマーレ「人生と地域を豊かにする、スポーツ文化が根ざしている世の中。」
星野リゾート「「ホスピタリティ・イノベータ―(おもてなしで確信を起こす)」
こんなビジョンを念頭に置きながら様々な事業が創造されていく。
所属する組織のメンバーになると研修で一番に目にする言葉だと思います。
組織は生き物ですから時代に合わせて変化を求められます。
常にビジョンを意識しておくことは大切なことですね。
さて…
「○○ビジョン」は教育界にも存在します。
これらのビジョンをもとにして教育計画がつくられて学校で実行されています。
その計画に沿って「めざす児童像」とか「理想の教師像」などが示される。
これらを意識しながら子どもたちと向き合うための研修もありますよね。
ボクも長いことを研修を受けてきましたし研修を企画する側にもいました。
これはこれで大切なことが示されているので疎かにはできません。
でも、ちょっと見方を変えてみる方がいいかもしれません。
ビジョンは誰のためにあるのだろう?
「○○ビジョン」は組織の在り方を示す大切なのであることは確かです。
しかし、そこから出てくる「べき論」は組織として窮屈さを生み出してしまいます。
「求められる教師像」や「めざす児童像」に囚われすぎてしまうのです。
「何年目の先生だから、これくらいはできるよね。」
「何年生なんだから、これくらいはできるよね。」
というように一人ひとりの多様性が無視されてしまうようなことにも繋がります。
時として間違った「チーム学校」を目にすることがあります。
職員室も何だか窮屈になった結果…
とりあえず平穏無事に済めばいいというような空気が蔓延してしまう。
「私たちの学校はこうあるべきなんだから、この通りにやること」
といった具合に一人ひとりの先生たちの個性が見えない学校があるのです。
とりあえず何となく標準化されたものを提供すればいいとなると…
全国どこへ行っても同じようなチェーン店のような学校ができあがります。
そこにいる子どもたちや先生たちの個性は全くもって見えません。
せっかく掲げているビジョンも個性や主体性が発揮されなくては達成は難しいでしょう。
「こうあるべき」から「こうしたい」へ転換しよう!
では…
一人ひとりが主体的にビジョン達成に向けて行動するために必要なことは何でしょうか。
まずは、それぞれのビジョンをよく読んで必要性を理解します。
その上で個人の強みを発揮しながら自分に何ができるかを考えます。
そのためにも一人ひとりの先生方の強みを相互に認識しあってほしいと思います。
さらに、個人の強みを発揮しながら学校を共に創っていくというマインドが重要です。
そうすることで主体性が自ずと発揮され職員室が居心地のよい空間に変化します。
どんな先生たちも「もっとこうしてみたい!」と仕事に対して前向きになっていく。
「お!それいいね!ボクもやってみよう。」
「ん?もっとこうしたら面白いかもね。」
「あー!そういうこともあるよね。じゃあ、またやってみよう。」
というようなサイクルがグルグルと回り始めると子どもたちにも連鎖していきます。
「○○ビジョン」は、みんなが共有すべきものですが…
そこに「私自身のビジョン」が掛け算になることで初めて生きてくるのだと思います。
そうでなければ、ただのお飾りになってしまいます。
というわけで矢印の向きを変えましょう。
「○○ビジョン実現のために」→「学校はこうあるべきだ!」→「各自こうしてください!」
ではなく…
「個人として○○したい!」→「学校として○○したい!」→「○○ビジョンを実現」
そのためにも、自分自身の在り方を見つめ直すが大切になります。
「こうあるべきだ!」から「こうしたい!」へ
Happy Valentine.