【著書】「どの子も輝く教室のつくりかた」(明治図書)

ますます複雑になる教室、学校

ますます複雑になる教室

最近、気になっていることがあります。

全国各地の先生たちによるSNSなどネット上の投稿を眺めつつ心配になっていることかな。

そんなことをとりとめもなく書いておこうと思います。

新型コロナウィルス感染拡大によって休校があった。

私たちの暮らしについて再考する良い時間にもなったかと思うのです。

何が大切か?

自分自身の生き方や家族のあり方、仕事や学校が問い直されている。

ボクの主戦場は学校なので、あれこれと気になります。

先週末は教員採用試験がありましたね。

ボクの知り合いも受験していますが、近年は、倍率が下がり続けています。

自分自身が初めて教壇に立った30年前とは状況が違います。

子どもたちだけでなく、各家庭の繋がりはますます希薄になっている。

一部の子どもたちやその家族はスポーツクラブなどのコミュニティで繋がっている。

それ以外はバラバラだったり、小グループだったり…

それはそれで良いのでしょうけれど、小さな分断があちらこちらで生まれてしまった。

集団がまとまるだけで「同調圧力がかかる」と短絡的に考える人たちもいるけれど…

ある意味で私たちはバラバラにされているのではないかとさえ思ってしまうのです。

いわゆる教職員組合は弱体化してしまい、教育の中立は保てなくなってしまった。

ボクがいた神奈川県の公立小学校は、どこも何だか一体感と安定感がありました。

要因はいろいろあると思う。

年齢構成というのもあるかもしれません。

ボクが初任だった1990年代初頭は新規採用数が少なかった。

当時、30代、40代の先生たちが幅を利かせて多くのことは円滑に回っていました。

いちいち言わなくても何だか回る暗黙知も存在していた。

見よう見まねで何とかなった時代、先生たちも今よりも個性的だった気がします。

個性が発揮しやすかっただけかもしれないけれど…

ところが、大量採用時代の先輩たちが抜けて若手がドドーッと入ってくる時代になった。

すると途端に余裕がなくなって…

ステレオタイプの教師の在り方が研修で語られるようになりました。

もはや個人で教室をマネジメントできるレベルではないかのように…

若手はどんどん標準化されていってしまい個性が見えなくなっている。

「子どもたちが変化しているから仕方ない」

そんな声も聞こえるけれど、本当にそうなのだろうかっていう疑問もあります。

変化しているのは子どもたちというよりも大人の社会なだけだよね。

子どもたちはいつの時代だって純粋だから。

グローバル化の反動が内向きの一国主義にシフトしていく。

EUの崩壊とかアメリカとか見れば分かる。

そして、どんどん個別化が進んで二極化が起きる。

そして、コミュニティがバラバラにされていく中で協働も求められるような時代。

学校では学びの個別化と協働化を進めようという動きが加速するのだけれど…

世の中は、分断と妙な協調へと向かっているから複雑でしかない。

学校で道徳を教えるけれど、家に帰れば何も関係がないみたいのと似ている。

せっかく学校で多くのことを学んでも、実社会とかけ離れていたら意味がないでしょ。

そんな中で子どもたちと向き合うボクらの仕事って何だろうか…

そして、後輩たちに引き継がなければならない学校のあり方って?

問い続ける毎日は続く…

タイトルとURLをコピーしました