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地上20m地点から見る伊勢原のポテンシャル

田んぼに囲まれた地上20m地点で考えたこと

綺麗な秋の空が広がる丹沢・大山の麓

幸運にも地上20mほどリフトしてもらえる機会をいただきました。

「風が吹かなければ30mまで上がれますからね」

と事前に伝えられていたので、ちょっぴり残念ですが…

またの機会に(あるといいけど)

富士山方面に見える地域は、古くから住宅が並んでいます。

手前はグルリと田んぼが広がっている。

その昔は腰まで使ってしまうほどの泥田だった地域です。

「全ての道は大山に通ず」

と言ってもいいであろう大山道も数本ある地域。

 「大田地区」を現在の大字区分でいうと、伊勢原市の「上谷」・「下谷」・「小稲葉」・「上平間」・「下平間」・「沼目」・「沼目1~7丁目」・「桜台2~4丁目の一部」と「桜台5丁目」の地に相当する。このうち沼目と沼目1~7丁目、それに桜台の大田地区分がかつての大字沼目の地である。かつての大字沼目は小田急線伊勢原駅に近く丘陵地帯であるために、比較的早くから宅地造成が進んだ地域である。それゆえ、桜台に続き昭和58年(1983年)に居住表示の変更がなされ、沼目1~7丁目が新たに設けられた。
沼目の台地の各所からは縄文時代などの居住跡も発掘されているため、沼目や上・下平間に古くから人の居住があったことは推測できる。大田地区内の地名と思われるものが初めて文献に登場するのは、平安時代中期の『倭名類聚鈔』においてであり、相模国大住郡の中に「渭辺(ぬまべ)」とあるのが沼目に比定されるからである。大田地区はその後500年近く全く文献上に名をとどめていないが、応永10年(1403年)の銘を持つ八坂神社(沼目)の鐘に「沼目郷」の名が登場し、この神社(祇園宮とされている)の存在と、当時この辺りを沼目郷と読んでいたことが明らかになる。
中世末期になると永禄2年(1559年)成立の「小田原衆所領役帳」に「谷郷」・「沼部郷」・「平間郷」・「小稲葉新田」の名や、永禄4年(1561年)と天正5年(1577年)の「北条家朱印状」に「平間」・「小稲葉」の名が見える。この頃には近世の大田地区の各村々の原型が整っていたことが推測でき、当時はまだ上平間・下平間は平間郷、上谷・下谷は谷郷として一体だったようである。また、小稲葉は集落が形成されて間もなくなので、小稲葉新田と呼ばれていた可能性がある。
江戸時代になると「元禄郷帳」に「上谷村」・「下谷村」・「小稲葉村」・「上平間村」・「下平間村」・「沼目村」の名が揃って記され、しかもその石高は『旧高旧領取調帳』記載の江戸末期・明治初期の石高とほぼ同じである。このことから、すでに元禄年間(1688~1704年)には近代の大田村を構成する6ヶ村は成立し、しかも江戸末期・明治前期並みの田畑の開墾は完了していたかと推測される。これらの6つの村は相模国大住郡の一部をなしていた。
明治22年(1889年)の町村制施行にあたって上記の村々は合併して神奈川県大住郡大田村(明治29年に中郡となる)を誕生させ、村名は大水田地帯であることを美称して名付けたものである。

神奈川県 伊勢原市 祭囃子

「うち田舎だよ。だってカエルとかふつうに網戸にくっつくじゃん。ヤモリもいるし」

「ボクん家もいっぱいいるよー(笑)」

なんてことを、この地域の子どもたちはよく話します。

それだけ自然に囲まれていて虫の採集にも事欠かない。

リアルな自然に触れながら子育てもできる。

農業も盛んで海も山もあって清流も流れる町。

フルーツの里でもあり、ブドウ・梨・柿・ミカンでも有名なところです。

小田急線で約1時間、東名高速道路も国道246号もあって交通の便も良好。

面白い人材も豊富な町です。

各界の豊富な人材を繫ぐこともボクの使命です。

ボクのホームタウン秦野と掛け算したら更に面白い。

ということで週末には選挙に行こう(笑)

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伊勢原
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