ソメイヨシノは満開から花吹雪となりそうな丹沢・大山の麓。
チューニングが見事に咲く花壇を発見しました。
「球根を整然と並べる作業は大変だったろうなあ」
「これだけの花が並んでいるのも本当に綺麗なもんだ」
「春が来て良かったなあ」
そう思って眺めていましたが、ちょっと考えてしまいました。
「もっとバラバラに植えるなんてことはできなかったのかなあ」
「混ぜてみたら面白そうなんじゃないかなあ」
整然と並べられるチューリップと学校で整列する子どもたちが重なります。
「みんな同じ」は子どもたちにとって必要最低限のことを提供する機能がある。
効率良く学ぶとか安全に暮らすための最低限のルールがあるのは安心を生む。
でも、そのルールが時として窮屈なものになってしまうんですよね。
「それぞれの色のチューリップ、同じ色であっても、それぞれは違うはずだよね」
同じように水をあげても、同じようには成長しない。
全く同じように見えていても、少しずつ葉や花びらの大きさなどは違うはず。
「みんな同じ」も「それぞれ違う」を上手に使い分けられるといいよなあ。
そんなことを考えた木曜日でした。