朝から強い風が吹き、雨も降った日曜日。
丹沢・大山の麓も雨が降ったり止んだり、能登では大雨による災害発生。
ボクら人間は自然に抗うことはできないけれど何もここまでしなくてもという気分です。
夜はフォレスト大楽のフォレストシップゼミがありました。
講師は、NPO法人グローブジャングルの森絵美子さん。
カンボジアへの様々な支援活動を続けています。
貧困にあえぎ孤児として生きる子どもたちも多くいる。
ところが、そんな子どもたちの笑顔は最高でエネルギーに満ちあふれているらしい。
ふと思い出したのが「昭和のこども」という写真集。
戦後の混乱期から高度経済成長期あたりまでの子どもたちの一瞬が捉えられています。
講師の話を聞いて受講生と対話をする。
「こどもに寛容な国なのかなあ?」
「日本はこども中心というより大人中心だよね?」
「本能としての子育てが感じられるのがカンボジア?」
みたいな話もあった。
カンボジアの子どもたちはスマホなんて持っていない。
ひたすら周囲を五感で感じ取る。
もちろん、それは身の安全を守るためでもあるでしょう。
「ヒト」
ボクら人間は文明を持ち、生きるために様々な便利グッズを開発してきた。
どんどん世の中は自動化されてスマホで何でもできちゃう。
それはそれで便利な気もするからありがたい。
スマートな生活になるかもしれないけれど、やっぱり危険もあるなあと思うのです。
「教育アップデート」
そんな言葉があります。
デジタルで推し進める人たちもいれば、これまでの教育観を打破する人たちもいる。
ボク自身も日本の公教育を変える活動をしてきたけれど…
OSがアップデートするようにバグを見つけては修正し新たな機能を追加する。
ひたすらそんなことを繰り返しているわけです。
そうしているうちに違和感も雪だるま式に膨れ上がっている。
大人も含め読書離れが進んでいます。
自分にとって最適化されたような都合の良い情報だけを目にする時代。
全くもって未知の世界に出会うチャンスは少なくなっているのかもしれない。
アップデートは所詮は更新でしかなく。
ある一定の枠に囚われた中での通過点でしかない。
積み上げるばかりの教育アップデートで幸せになれるのだろうか。
ラジオ体操をやめた幼稚園の話もあった。
理由は怪我をするからだという。
こどもたちは動き回るのが当たり前なのに大人が制御してしてしまう。
静かにさせるためにスマホを与える。
よって五感が働かないこどもたちばかりになる。
そしてボクら大人も。
「我々はヒトとしての機能を失っていないか?」
「ちゃんと考えてから教育アップデートを語らなければいけないな」
改めて考えさせられました。