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子どもたちは変わってしまったのか?

笑顔あふれる教室のつくり方(第10回)

「教室というものは教師によってつくられる」

そう考えてしまったのは金八先生やスクールウォーズなどを見て育ったからなのだろう。

小学校の時には「熱中時代」を見て「フィーバー」という言葉を覚えた。

中学校の時の「金八先生」は自らが通う中学校の教室と同じような光景が画面の中にあった。

高校では「スクールウォーズ」を見ながら滝沢先生に憧れた。

大学生だった昭和の終わりは「教師びんびん物語」を見ながら教育実習に行った。

1970年代から1990年代のことだ。

今年、1986年と現代を舞台にした大ヒットドラマ「不適切にもほどがある!」が放映された。

年末ならではということもあり特番で一気に見ることができる。

「あー!こんな時代だったよね」

と懐かしさを感じつつ、今の時代の息苦しさも感じてしまう。

1980年代の学校といえば「校内暴力」「受験戦争」がメインテーマだったように思う。

ボクらの中学校もガラスは割れていたし、校内でケンカもしょっちゅうあった。

ちょっと生意気な後輩たちを先輩たちが囲むシーンも日常茶飯事で見ていた。

「てめえ!調子に乗ってんじゃねぞ!次にやったら承知しねえからな!」

ボクらの代とて生意気な後輩たちを囲んでいたような時代だ。

ちゃんと話を聴いてくれる先生は尊敬されたが、そうではない先生には徹底的に抵抗した。

小さく折ったチョークを校舎の上から先生たちに向かって投げた。

授業をボイコットすると先生は怒って職員室から出てこなくなった。

「お前たち、まだまだ甘いな」

学生紛争時代をリアルに知る先生たちからは笑われたが…

そんなことばかりを覚えている。

「俺たちはみかんじゃねえ!人間なんだ!」

高校受験という名の下で学業成績によって見事なほどに選別された時代に登場した台詞。

「われわれは、ミカンや機械を作っているんじゃないんです、われわれは人間を作っているんです!」

金八さんは叫んだ。

そんな時代をリアルに生きていたのが学生時代。

当時の先生たちは厳しかったように思う。

それでも…

ボクらの未来を真剣に考えてくれていたことは伝わっていた気もする。

戦後を生きてきた先生たちにはボクらは砂糖たっぷりの珈琲のように見えたのかもしれない。

平成に入るとヤンキーたちは学校から消えていった。

今でも暴力に関する報告はあるが、あの時代とは質が異なっている。

だんだん子どもたちはおとなしくなってしまったようにも感じる。

だから「打てば響く」から「打っても響かない」ようなことも起きる。

野外で遊ぶ子どもたちの姿が急速に消えていったことも影響しているように思う。

自ら手足を伸ばして多くの世界に触れていくような環境ではない。

画面に釘付けになっているばかりになっていないか心配は尽きない。

そもそも人間が持っている生き抜く力が発揮されにくい時代ともいえよう。

「子どもたちは変わってしまった」

たしかにそう思う部分はある。

ただ、そうであるからといって子どもたちの責任を押しつけるようなことがあってはならない。

「今の保護者は…」「今の先生は…」「今の世の中は…」

それも何だか違うように思う。

ボクらは人間である。

目の前の時代を生き抜こうとする機能は持ち合わせているはずだ。

そう引き継がれた遺伝子は子どもたちの身体の中にある。

自分たちの世界をつくろうとしないのは子どもたちの責任ではない。

子どもたちは変わっていない。

変えてしまっているように感じるのはボクら大人の所業なのではないだろうか。

だからこそ、教室という空間を子どもたちの手に委ねる必要があるのだ。