「なんでもかんでも丁寧に指導するのが先生の仕事だ!」
そう信じていた頃があった。
教科書を開くと覚えてもらわなければいけないことが満載に見えた。
それを読んだり、黒板に書いたりして伝えていくことに必死だった。
いつも黒板の前にいて、子どもたちとやり取りをしながら授業が進む。
「わかりやすい板書になっているのか?」
白だけでなく黄色や水色、赤色のチョークで文字を書いていく。
あらかじめ用意していた模造紙などを貼って説明したこともある。
基本、教卓から動かない。
自分に40人近くの視線が集まるのは快感でもあり恐怖でもあった。
まるでステージのようだ。
うまくいけば拍手喝采を浴び、うまくいかなければしらけ鳥が飛んでいく。
子どもたちの反応は正直なのだ。
もちろん、黒板の前から微動だに動かないわけではない。
子どもたちに説明を終えた後には机間巡視へ向かう。
活動中に教室を歩きながら子どもたちの様子を見回るのだ。
「ちゃんと課題に取り組んでいるのか?」
「どこに引っ掛かって困っているのか?」
「周りの子どもたち同士で問題は起きていないか?」
そんなことをチェックして回る。
気をつけないと警察官のパトロールのようになる。
ところが、教えない人たちに出会ってしまった。
前回のJFA Sports Managers Collegeでの話である。
チューターや講師はヒントはくれるが答えは与えない。
「こういう時、どうすればいいのでしょうか?」
と質問しても正解めいたものは一切くれないのだ。
「そうですねえ。どんなアイデアがありそうですか?」
なんて逆に質問されてしまう。
「仲間からアイデアを募ってみてはどうでしょう?」
そんなことを提案され日々が続いた。
思い出したことがある。
ボクは中学生から大学受験浪人まで街の小さな塾へ通っていた。
「優秀館」という漫画「東大一直線」から名前を冠したらしい。
たしかにギャグ漫画のような所でもあった。
ギターでベンチャーズを弾く先生が浪人中のボクに言い放つ。
「もう教えないからな。自分で答えを探すんだぞ」
「お金を払ってるのに教えないってなくね?」
格安の料金だったにも関わらずそう思っていた。
ヒントと解答の微妙なラインで寸止めされる日々が続く。
どうして先生がそう伝えたのかは後に理解することになる。
教えられる浪人生から学ぶ浪人生へ変身させるためだったのだ。
おかげさまで結果も出た。
この体験の記憶も後に教室のあり方を変える原動力になっていく。
「くわまん、これどうすればいいの?」
「そうだね、これはこうやればいいよ」
と聞かれたらすぐに教えていたが…
「くわまん、これどうすればいいの?」
「ん?どうすればいいと思う?」
「えーっと、これってこうなると思うんだけどなあ」
「なるほど、そう思うんだね」
と自力で解決できるように心がけた。
まるで埒が開かない時には選択肢を提示する。
「例えば、A、B、Cという方法があるけど、どれがいいかな?」
3つの中から子どもが自ら選択した方法でチャレンジする。
あくまでも答えを決めるのは自分自身ということを実感してもらうようにした。
悪戦苦闘した後に効果を示すことになった方法だが最初は大変だった。
「ねえ、なんで教えてくれないの?」
そんな不満が募っていったからだ。
突然、6年生の男子が泣き出したこともある。
「教えてほしいって思っているのに気づいてくれないじゃないか!」
40人近くいる子どもたちも距離感の保ち方がそれぞれ違う。
彼からもそんな大切なことを教わった。
教えてしまうことは実は簡単な行為だ。
かける時間も短くて済む。
でも、それでは餌を待っている鶏舎の鶏たちと同じような気がした。
平飼いの鶏たちのように自ら餌を探す力がないといけない。
なんでも検索すれば答えらしきものが簡単に見つかる時代。
現代人には山の中を這い回り獣を捕獲するような根性はない。
釣り糸を根気よく水の中に垂れて獲物を待つ余裕もない。
そんな時代なのだ。
とはいえ、人間には自ら何かを獲得しよういう遺伝子が備わっているはずだ。
小さな子どもたちを観察すれば容易に理解できる。
彼らには潜在的に何かを獲得したい欲求は備わっているのだ。
何も追い求めないとしたら大人が制限を加えているのではなかろうか。
そして、子どもたちは何かをつくることが好きだ。
秘密基地をつくった記憶があるように、自分の世界をつくる。
同じ空間にいる仲間たちと自分たちの世界をつくる。
そんな力を子どもたちは持っていると信じて葛藤は続いた…