少子高齢化社会を迎え、大学全入時代とも言われる昨今…
我が家の子どもたちを見ていても大学の在り方が変わってきていると感じています。
大学改革を求める声が続く。目指すは実用主義や市場原理の導入。文部科学省も8日、国立大の人文社会科学系の見直しを求めた。
教員養成系の学部も見直しを求められています。
6月10日読売新聞の解説(京大名誉教授竹内洋さん)を読みながらあれやこれやと考えました。
そういえば、大学の成り立ちってあまり知りません。
戦後、GHQによる教育改革が行われたが大学はさほど改革されなかった。旧制高校のほとんどが、そのまま国立大学になり、先生が大学教授になった。教員を養成する師範学校や、専門学校を統合して新制の4年生大学に格上げした。
なるほど…
我が母校も戦後の改革によって教育学部ができた教員養成大学です。
教育学部のような新しい学部も誕生した。「ポツダム宣言」にひっかけて「ポツダム学部」と呼ばれた。
「自由を守り心理をきわむ」という校歌にあったのは戦後の香りがプンプンしますね。
急ごしらえで教職歴や研究歴がない人まで教授に採用した。
ということで、教育学部のレベルは低かったのだそうです。
高度経済成長期は大学進学者が増えたことで、大学は大衆化しエリート養成の場ではなくなった。
1970年前後の大学紛争は、子どもの頃にテレビで見た光景しか思い出せません。
大学生が暴れていて、ヘルメットをかぶりデモ行進したりしていました。
大学当局に不満を抱く学生がデモや大学占拠をした。
大先輩たちからも、しょっちゅう休校になったり教室が封鎖されたりした話を聞いたことがあります。
紛争が終息すると、
代わりに大衆娯楽文化が広まり、大学はレジャーランド化した。
ボクらの大学生時代、1980年代はまさにこの時代ですね。
入試を突破すれば勉強しなくても卒業できる。
たしかに受験は大変でした。浪人しましたし…
でも、入学すると普通に授業に出てレポートを書いたり試験を受ければ卒業できた時代。
この頃から大学での専門と就職先が理系以外はリンクしなくなった。
卒業時はバブル期でした。
教員採用は狭き門、母校でも4割しか教員にはならず企業へ就職する学生がたくさんいたのです。
元気だった証券会社や銀行へ就職した友人も多数。
数年後にはバブルもはじけて教員になるというパターンも出てきましたが。
でも、ずいぶんと自由な空気はまだありました。
夜を徹して議論したり、いろんな角度からみんなであれこれと考えることができたような時代です。
2000年前後から、大学は経済成長に貢献するよう求められる。経済が低迷する中、すぐに役立つ研究や教育への動きだ。その方策が、政府や産業界から次々と出された。
「産学協同」が叫ばれ、息苦しくなってきたのはこの頃からでしょうか。
少子高齢化社会に合わせるように、医療福祉、健康スポーツ系の学部や学科ができる。
観光立国を目指すので観光学部とかまでできる。
それはそれでいいのですが、出口は狭く就職先は別の所という学生も多いはず…
今の時代、どんな改革も大衆感情とその圧力抜きには実行不能だ。
私はそれを「大衆高圧釜社会」と呼ぶ。
なんだか怖いような気がします。
大衆社会の劣情と、政府や産業界の結託
これが大学改革の議論の源であるならば、批判することや多角的に物事を見ることができなくなる。
そんな気がしてなりません。
何が正解かわからない時代だからこそ、大衆に流されてはいけない。
現実を直視して、よりよい未来のためにあれこれ考えて研究成果を上げて世の中に貢献する。
大学こそ、時代に流されてほしくない教育機関だと思うのは私だけではないでしょう。
日本の子どもたちのためにも大学の在り方は、みんなで議論したいところです。