あの日…
ボクは次男と自宅にいました。
大学院も無事に修了を迎え次の日から新潟へ仲間と行こうと準備をしていた日。
神奈川でも激しい揺れがあり、ただ事ではないことを感じテレビをつけました。
震源地は宮城県沿岸でした。
子どもの頃、近くの公園で電線を揺らすほどだった宮城県沖地震を思い出します。
でも、この日の地震は違いました。
巨大な津波が襲う生々しい映像に愕然とし、東京へ行っていた長男は帰って来られず…
何が起こったのか分からないままいて、余震も続く不安な夜を迎えました。
停電を繰り返すので断片的な情報を手に入れるしかありません。
情報が届くほど被害が大きいことが分かります。
数日後には福島第一原発が大変なことになり、現在でも作業が続いている状況です。
もちろん、避難を強いられる人たちも多くいる。
放射線量も心配なままです。
会津にも仮設住宅があって避難して来ている人たちがいます。
この6年…
いろんなことがありました。
ボクは復興のために大きなことはできません。
でも、生まれ故郷である福島や東北のために何かできないかと微力ながら行動しています。
何よりも自分が自分らしく生きることが何らかの貢献なるだろうと信じています。
3.11
生きている限り忘れることはない一日。
被災地の皆さんに多くの幸あれ!
Good Luck.