「一緒にオランダに行かない?」と誘われたのは2012年のこと。
平日は教育の現場にいて、土日はスポーツの現場にいて休みもなかった私。
そんな中、ずっと抱いていた違和感が「イエナプラン」と出会うことで解消されていく。
それはロンドン五輪の熱気が残るこの夏のオランダでの貴重な体験によるところが大きい。
Amsterdamに宿泊して観光したり、サッカー観戦したりして教育について仲間と語り合う。
「教師になってから、こんなにゆったりした時間を過ごしたことある?」
そんなことを共に過ごした仲間と語り合いながらビールを飲む。
その後、Castricumに移動して「イエナプラン」を学ぶことになります。
最後は、Dr.Schaepmanschoolで学校視察をさせてもらって衝撃を受けて帰国。
2学期からは、少しずつイエナプランのコンセプトを持ち込んで実践をスタート。
試行錯誤の末に現在に至っています。
そんな中、何よりも心に響いたのは「イエナプラン20の原則」の冒頭にある文章です
1.
どんな人も、世界にたった一人しかいない人です。つまり、どの子どももどの大人も一人一人がほかの人や物によっては取り換えることのできない、かけがえのない価値を持っています。
「イエナプラン20の原則」(イエナプラン教育協会HPより)
「教室には良き児童像、グランドには良き選手像があり、そこにフィットしなければダメ。」
そんなイメージが蔓延していることにやるせない気持ちでいた頃です。
同じ教室、同じグランドにいながら常に優劣で判断されてしまう子どもたち。
「大体こんな感じが望ましい。」みたいなスタンダードに縛られている子どもたち。
そんな現場に教師としてコーチとして君臨してしまっていた自分。
「何か違うんだ!」と学校にもグランドにも行くのが苦しくて仕方がなかった。
クラスには、みんなと一緒に活動するのが困難な子がいて…
グランドには、試合に出るチャンスを与えられない子がいて…
「どうせ、ボクはダメなんだ!」っていうマインドを大人が植え付けていて…
そんな子たちと向き合って苦しくて逃げ出したくて仕方がなかった頃に出会った「20の原則」
「どの子もかけがえのない価値を持っている」ことが素晴らしいなって思ったのです。
実際、オランダで見たイエナプランの学校は「20の原則」が根底に流れて運営されている。
だからなのか、教室が何だかゆったりとした空間になっていました。
それは子どもたちだけでなく、大人である先生たち同士でも意識されている。
職員室はカフェみたいで先生たちには笑顔が絶えなかった。
「なんでこんな空気感なのだろうか?」
「どうしたらこういう学校になるのだろうか?」
悩み続ける中でも、自分の中での最適解を見つけてチャレンジしてみました。
細やかさがないので、とてもアバウトだったのが残念でなりませんが…
「個性を大切に!」と言いつつ全体主義が蔓延する学校で「個」にフォーカスしていく。
そんなことに自分なりにチャレンジしてきたんだなと振り返っています。
「どんな人も、世界にたった一人しかいない人です。」
そりゃそうだよね。
そんなのみんな理解しているよね。
って思うのだけれど…
つまり、どの子どももどの大人も一人一人がほかの人や物によっては取り換えることのできない、かけがえのない価値を持っています。
これって頭では分かっているかもしれないけど本気でそう思って向き合っている?
「あいつ使えないよな!」とか「あなたは期待外れ!」とか言っていないでしょうか。
実は私自身がそうでした。
一番、辛かったのはトレセンのセレクションかもしれません。
その子なりに全力を出してくれている子どもたちを切り捨てなければいけないからです。
40名という枠が決まっているので仕方がないといえば仕方がないのですが…
「ここで選ばれなかったといってサッカー人生が終わるわけではないよ。」
というのが苦しくて仕方がありませんでした。
まずは、その子自身のありのままを受容すること。
そこがスタートなのではないでしょうか。
それは大人同士でも同じです。
何にも理解せずに「ホントあの人だめだよね!」なんて言っていたら組織は崩壊します。
というわけで私は「受容すること」から全てを始めてみたいなって思います。