信州まちなみスタディーズ<佐久穂>を読んだからというわけではないのですが…
長野県南佐久郡佐久穂町へ行ってきました。
天気も良く、千曲川の向こうには浅間山がきれいに見えます。
この光景を見ただけでもワクワクします。
蕎麦を食べに橋を渡ると、そこは東町。
花街や商店街があって賑やかだった通りです。
往時を偲ばせる風景は、本文中にある描写と見事に重なります。
残念ながら蕎麦屋さんは休業日ということで、お弟子さんのところでいただきました。
同行してくださった皆さんと楽しく会話をしながら、佐久穂のあちらこちらを車で移動。
八千穂駅近くにある黒澤酒造をはじめとする建物群は見事でした。
時間をかけて歩いてみたい街並みです。
海瀬駅近くには、古くからある発電施設もあります。
山にそびえる形の違う鉄塔を流れる高圧線は、東電と中電の両方に電気を供給しているとか…
これもなんだかすごいです。
海瀬から、本日の目的地へ向かいます。
武州街道筋にある大日向地区…
長野県の旧・大日向村(おおひなたむら)は1938(昭和13)年、村を二分して移住する「分村移民」を全国で初めて本格実施し、「満州大日向村」をつくった。当時の村の指導者たちは「不況で現金収入が少なく、耕地が少ない山あいの寒村では全村民が食べていくだけの食糧が得られない。村人を養うには人間を減らさなければいけない」と考えたのだ。
一方、国は当時、「満州開拓移民」を国策として推進しようとしていた。大日向村の「分村移民」は、そのためのモデル例にされた。国は現地・中国の人から農地を半ば強制的に買い上げ、移民した大日向の人々に与えた。現地の人々は日本人の小作人として働かなければならなくなった。「開拓」とは名ばかりで、人々は知らないうちに‘侵略のお先棒’を担がされていたのだ。大日向地区の古老の一人は今、悔恨の念を込めて語る。「当時の生活はとても楽だった。強制的に買い上げられた農地とは知らなかった」と。
さらに国は「大日向村」を満州開拓の成功例として、さまざまなメディアを使ってPRし、移民を奨励した。しかし、後に続いた多くの開拓移民団はソ連国境に近い「北満」に送り出され、そのことがさまざまな敗戦後の悲劇につながっていったのだった。
『大日向開拓物語-「満州」そして軽井沢』
こんな悲しい歴史を持つ地区です。
青い空、新緑の山々からはそんな悲劇があったことなどは感じることができません。
国道沿いから一段上がったところに廃校も見えます。
こういうところで自然を感じながら過ごす。
風の音を感じて、青空を見上げて…
ヒトであるってことを実感できたら最高ですね。
Good Luck.